『観音経法話(上)父は知恵母は慈悲』
2007/09/28(Fri)
 高田好胤の『観音経法話(上)父は知恵母は慈悲』を読む
 
 著者の高田好胤という人は、もう亡くなられたが薬師寺の管主だった人である。
 この書物は、亀井勝一郎に頼まれて、日本女子大の卒業生の同窓会である「桜楓会」で講演をされ、その内容がまとめられて本になったものである。
 
 最初三分の二位まではいろいろなたとえ話や、他の書物を引いての講和だったので、読み易いし分かりやすかったが、その後は、経の内容が分かりにくいのか、私に集中力がなくなったのかよく理解できなかった。その為に何度も読み返した。

 引いてある文章で気に入ったのを抜粋する。

 ○ 「仏も昔は凡夫なり 我等もつひには仏なり いずれも仏性具せる身を   隔つのみこそ悲しけれ。」平家物語

 ○  向こう小山を猿が行く
    さきのお猿はもの知らず
    あとのお猿ももの知らず
    なかのお猿がかしこくて
    山の畑に実を蒔いた
    
    花が開いて実が生れば
    二つの猿は帰り来て
    一つ残さずとりつくし
    種子をばまいたつれの名は
    忘れてつひぞ思ひ出ぬ    薄田泣菫

 ○ 諸行に常なるもの無し(諸行無常)
       いろはにほへと(色は匂へど散りぬるを)
   是は生滅の法なればぞ(是生滅法)
       わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
   生滅を滅え已るとき(生滅滅已)
       うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)
   寂滅をば楽しみと為す(寂滅為楽)
       あさきゆめみしゑひもせす(浅き夢見し酔ひもせず)
      『涅槃経』「聖行品」の「施身聞偈」と今様歌

 ○ 「手で畠の草を引き、心の草を抜く」 『みみずのたはごと』徳富蘆花

 ○ 「西洋人というのは積極的積極的といって、山が邪魔になればトンネルを掘る。
川が邪魔になれば橋をかける。
むこうに木が生えていて、それが邪魔になるというので伐っても、そのむこうの何とかがまた邪魔になってくる。
人間はどこまで行っても満足するものではない。
積極主義というけれども、それは一生不平不満で終わっている悲しい人間の所産だ。
それが西洋文明だ。
それにひきかえわれわれ日本人はもっと賢かった。
向こうへ行かないでも、行っただけの、それ以上の喜びを味わえる、そういう心の工夫を東洋人は考え出した。
消極の極にいたる道を、そこに私たちの幸せを求めているんだ。
西洋のやり方より日本のやり方のほうがはるかに賢い。」夏目漱石『我輩は猫である』

 ○ ぬすびとにとりのこされし窓の月
   焚くほどは風がもてくる落葉かな 良寛

 この本を読んでいる間に不思議な体験をした。
 二日間に亘って読んだが、実は最初の日私は落ち着いてこのh本を読んだ。
 その時は大変ありがたく観音様に包まれていくような気持ちになれた。
 次の日ちょっとショックな出来事があった。そうすると、読んでいてもなかなか理解できなかった。心を平静に保てなかったのか、内容が難しかったのか、悪かったのかと考える。
 そこで次の一文に思い当たる。

 ○ 「人は流水に鑑みる莫くして止水に鑑みる。唯だ止のみ能衆止を止む」                         
  波立たず、静かな水面にしか物は正確に写らない。
 心乱れた心で物を見ても正確に見ることは出来ない。
 心を静めてから事の次第を見て考えることだと言うのである。
 
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