『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』
2009/11/21(Sat)
村上春樹著 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』

この書は1995年から96年にわたって週刊朝日のコラムに掲載されたものをまとめたものが大方というもの。丁寧に数えてみると(4度数えた)60くらいある。

 「もう10年も前のことだけど」
 「95年日本シリーズ観戦記「ボートはボート」
 「体罰について」
 「砂の中のキー」

まで読みすすんで「体罰について」の記事について述べてみる。
村上春樹は、小学生のときも高校生のときも体罰を受けたことはないが、中学生のとき自分も含めておおくの生徒が日常的に体罰を受けていて、いまでもそのことを根に持っていると述べている。
「日常的な体罰」ということにびっくりした。ただ救われるのは、このように体罰を受けていたにもかかわらず、体罰ははっきり正しくないとのべる人間がいるということだ。体罰の連鎖ということを聞くことがあるが連鎖が断ち切られているからだ。
 私自身、体罰を受けた記憶はないが、同じクラスの子が教室で体罰を受けたことがある。その時は教師に対してどう思ったかおぼえていないが、いま、こどもにかかわる仕事をしているからかそのときのことが実際体罰を振るはなければいけないほどのことだったとはどうしても思えない。
 では、どのような場面なら体罰が必要なのかと考えてみるがそのような場面に出くわしたことがないのでわからない。
 
 ≪僕はそれ以来、教師や学校に対して親しみよりはむしろ、恐怖や嫌悪感のほうを強く抱くようになった。人生の過程で何人か優れた教師に出会ったことがあったが、その人たちに個人的に接触したことはほとんどない。どうしてもそういう気持ちになれなかったのだ。これもまた不幸なことである。≫
 
 体罰を振るわなければいけない場面があるとしてもこの言葉は深く受け止めるべきと思う。
 




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