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『うたのすけさんのブログ』
2009/12/05(Sat)
『うたのすけさんのブログ』を読む。

 昨日は仕事休み。
 出かけなくてはいけない用事もない。
 夢のような一日だった。

 パソコンで読みたいと思っていた『うたのすけさんのブログ』に志村さんの連歌からアクセスして、9・10・11月の過去ブログをまとめて読ませていただいた。

 その暮らしぶりのあれこれがなんともゆったりしていて、そして、その筆致ののびやかなところが、ぎりぎりの体力にドジばかり踏みながら、ドリンクを飲んでどうにか一日をやりすごしている私としては、縁側であったかいお抹茶を頂いた感じがした。
 どうもその飄々とした感じが、宇野重吉さんの面影と結びつく。

 合の手の、コメントも楽しい。

 昭和一桁の人といえば・・・・。
 ときどき、うらやまに出かける。
 あさ7時50分から近所の主婦3人にまじって登るのが定番だが、たまに、休みの日に夕刻でかけると昭和一桁の方たちと出会うことが多いい。
 たいがいは男性でひとりで歩いておられる。
 二桁の男性は、うんと早く歩かれるので一緒に歩くことは無いが、一桁の人とは話しながらあるいたことが最近2度もあった。
 そのときは、「ナツハゼ」の木を探していたので、「ナツハゼってご存知ですか」「どこかでみかけられましたか」とたずねたとき、「うん、パソコンで検索したことがあったが、あれは昔子どもの頃わしらは、はちまきいちご言いよったぶんじゃないかのー」といわれ、わたしもはっと思い出した、そうだ子供の頃はちまきいちごと言うものがあったと。
 帰って夫に話したら夫も「そうじゃった、はちまきいちごいうとった」と我が家でも謎がするすると解けた。
 そしてナツハゼのある場所を二箇所教わった。
 
 なぜか、近所の主婦3人はいつもお天気と料理の話で盛り上がりそれはそれで楽しいが、樹木には殆ど興味がないようす。
 
 もっと、余談になるが、子ども達は、校庭の樹木を見て、あれはメタセコイヤ、大昔、地球上に木ができたときの最初の木。
 きっと第二次世界大戦のころ日本の山々は今の北朝鮮の山のようになっていたのではないかと思うんだけど、そのあと早く大きくなるメタセコイヤの苗木を東南アジアのほうの国から持って帰って一杯植えたとむかし今の建設省に勤めていた人に聞いたよ。そのころは、ご飯を炊くのも、風呂を沸かすのも、ストーブをたくのも、何もかも木なしにはやってられなかったからねとか、栗の木はね水濡れに強いから家を建てるとき台所やお風呂場に使うんだって。柘植はね、将棋の駒を作っていたのよ。こんど柘植の将棋の駒を持ってきて見せてあげるね。日本の楠はね、もしかしたらそれでつくった船に乗って縄文人は縄文土器を積んで遠くアンデスの山すそに行ったかもしれないと一人思ったりするのよね。とか、木の話は延々と続けても、子ども達は眼をきらきらさせながら聞いている。(子どもの頃はみんなそうだったのに)

 昨日は、うたのすけさんのブログをよんで、楽しかった自分の時間も思い出せた。
 
 
 
  

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