ユニホッケー大会に参加しました
2010/02/15(Mon)
「ユニホッケー大会で優勝と二位を勝ち取りました」

2月14日は区のスポーツセンターでユニホッケー大会がありました。
私の施設から2つのチームを出場させました。

低学年の部で、1つのチームが優勝。もうひとつのチームが2位になりました。

1チーム6人でやるゲームですが、ちょうど12人の出場申し込みがあったので2チームの出場になったのです。なんとなく2チーム出場させれそうだと思えたのは2月の始めでした。

じつは、この大会に出場することに私は内心反対でした。

私の勤務する児童館は、この区で2番目に建設されているため、古い基準で建てられており、吹き抜けの遊戯室以外はどの部屋も狭いのです。
さらに、転勤してきて3年目なのに、予想できずにいたのですが、今年度いきなり登録児が倍の86人になったのです。
急遽小学校の空き教室を一部屋借りて2箇所でやることになりましたが、そこはセキュリティーの関係から5時には部屋を引き渡すので、それまでに子どもを児童館に連れて帰らなければなりません。「子ども一人当たりのスペースA3一枚分ですよね」と苦笑いするしかありません。事故も絶えなくなり、枕を高くして寝られる状況ではありません。
どういうことか一般の来館児も倍くらいになって工作室などはランドセルで足の踏み場もないこともあるのです。転勤してきたときこの児童館では宿題をさせておられましたが、宿題をするにはそれなりのスペースが必要です。今年度になってから宿題に集中することが出来ない子どもには、「わからない人は持ってきなさい一緒に考えてあげるから、やらないのなら直ぐに片付けなさい児童館は遊ぶところです。ここは学習室ではありません。」の声がけをしなければいけないとも考えるようになり、様子を見に来られる保護者には理解を求めるための説明をしてゆきました。
保護者も状況を目の当たりにして「そうですね」と納得してくださいます。

登録児担当(学童保育)の指導員は日々のこどもへの指導と事故処理に休暇を取れる気分ではありません。担当外の私たちも臨時指導員の手配やその手当てのための事務処理、保護者対応、施設管理の見直し、行事イベントの見直しと超過勤務はもちろんのこと休暇も取れない状況でした。
やっと担当の指導員も休暇が取れる時期になってというときのユニホッケー大会です。子どもの首のところまであるあの硬いスティックを振り回してのユニホッケー、考えただけでも身震いがします。それでも「先生今年もあるんですよね」と言う保護者の声に応えないわけにいきそうにありません。
11月の終わり頃出場することを決めて12月から毎日練習を始めました。始めはしたものの、これ以上負傷者を出して保護者の社会参加への足を引っ張ってはいけないのです。
それで、今年はあえて私が指導に当たることにしたのです。

一昨年、高学年の子が飛んできた球に当たって鼻血が大量に出て吃驚したことを保護者に話し、ドッジボールなどのように雑多な遊びの中で出来るようなスポーツでないことを理解していただき、保護者などの見学者も入れないで5時から6時まで遊戯室を専用に使うことにしました。当然児童館ですから当日参加したい子は、障害を持っている子を含め大会にいこうが行くまいが全員参加でユニホッケーの練習をするという方針です。

子どもたちには、最初に約束させてもらいました。
ユニホッケー専用で使って、他な遊びをしたいお友達に我慢をしてもらっているのだから、怪我をしないように球から眼を離さないで真面目にやること。そして無理は絶対にしない。止めたくなったら私に一声かけて部屋を出て行き、やりたくなったら黙って入って来て練習をつづけること、と。
不特定多数の子どもたちが利用する児童館のことですからこのことは徹底できないと思っていましたが、子どもたちは雰囲気で理解するのでしょうかだいたい徹底できました。
一度スティックをもってチュニングラダーにぶら下がる子がいて2度注意をしても止めないのでその日は練習全体をストップし止めさせました。
止めさせたとき、注意された子がそれ以上注意されると気持ちが固まってつらい状況になる障害を持っていることをなんとなくわかっている子どもたちは、中断させられ悔しかっただろうにこの子を一言も攻めず、私の絶対事故を起こしたくないと言う気持ちにも素直に従って黙って後片付けをしてくれたのでした。
 男の子どもばかりですから(あとから3年生の女の子が1人入ってきましたが)、広い遊戯室は毎日色気の無い私の笛の音が鳴り響くだけの日々となり、黙々と練習が続きました。

 不思議です。
この頃から子どもがかわいくて仕方がなくなりました。一試合だけでも勝ってみたいという子どもたちの夢を叶えてやりたいと思うようになりました。

おせっかいにも一言二言注文をつけるようになりました。奇数の人数のときは仲間に入りました。シュートを決めて振り上げる私のこぶしをまぶしそうに見上げる子ども達のまなざしに励まされて夜な夜な考えては老体に鞭打って模範プレーもするようになりました。
子どもたちにも試行錯誤する様子が出てきました。
だんだん体力アップと共に考えた事が楽に実現できるようになってきました。
若いお父さんが迎えに来られたときはプレーに参加してもらったりもしました。「スティックに当たらないものなのですね。子どもたちはすごいですね!!」の声に子どもたちは自分の実力とお父さんを乗り越えていく意地を感じているようでした。
ここまで来ると1年、2年、3年と学年による実力の差がはっきりするようになりました。そして、子どもの個性がはっきりプレーに現れるようになりました。そしてそのことを子どもたちもお互い認識するようになりました。
子どもたちはどんな練習のときでも勝ちたいので、強いもの同志がチームを作り、弱いものがいやいや残りでチームを組まざるをえなくなりました。
そこで、おおいに私の出番です。
負けるとわかっているゲームにどうやってやる気を失わず向かっていけるかという指導をしました。それにはお互いの励ましが必要だということ。声のかけ方、1点でも入ったときのリアクションについても指導しました。
だんだん、つらい中で力強い声が出せるようになり練習は平面的なものから、立体的なものになり、お互いの顔の表情から気持ちもわかるようになりました。   
友達を思いやれる自分に誇りが持てるようになりました。
そうなると誰と組んでも気にならなくなっていきました。

だんだん、試合の日が近づいて、本部にメンバー表を送らなければならなくなりました。でも、子どもたちの本音がわかっている私がメンバーを分けるにはつらいものがありそのことには触れないでいました。
休日をとったあくる日、「直ぐに送れということだったので、よくわからないからチーム名もリーダーもメンバー分けも子どもたちに決めさせてメンバー表を送ったよ」と聞かされました。「3年生に1年生を1人加えたチーム」と「2年生だけのチーム」を作っていました。
子どもたちが自分たちで決めたことです。気の弱い私は正直救われました。
練習日はもうその日一日。
どちらのリーダーもその責任感からか、仲間のミスにクレームをつけました。
直ぐに集合をかけリーダーの役割について指導しました。「一人が100ずつの力を持っていれば、6人で600でしょ。それを、700,800,900までもにしていくのがリーダーの役割だと思うよ。そうするにはみんなが冷静さと元気が持てるようにしなくてはいけないでしょ。これを失うような言葉で600を500、400にしていくこともあるよね。どんな言葉がいいか今晩考えておくように、そして他のみんなはそのリーダーの役割を助けるようにしないとね。」といって聞かせました。
すると、明日とはいわず直ぐに考えて実行してくれて和やかな雰囲気での力強い練習になりました。

もう3年生のチームには本番では何も言うことはありません。

2年生を勝たせてやりたいのですが初戦で負けてしまいました。子どもたちの顔に3年生チームには勝てなかったという経験ばかりしかないので「やっぱり」という焦燥感が見て取れます。可哀想で見ていられません。  
気になったことはリーダーが味方のゴールキーパーを気にして足が積極的に前に出ていないことでした。 
そういえばこの子は普段地域のソフトボール部に入っています。ソフトボールは、守るときは守るだけ、攻めるときは攻めるだけです。きっとこの子には両方同時にやるのは無理なのです。でも、ずっと攻めていれば守りは気にしなくてもいいのではないかと思いつき、「点はいくら入れられてもいいから、しつこくせめて行きなさい。」と命令しました。おそらく指導員になって命令したと思ったのは初めてです。
自信をなくした子どもたちはその言葉にすがりつくように攻撃に専念してつねに球は自分たちのゴール近くにあるようになりました。さらにそばから、「しつこく攻めて!!」と私も声をかけます。攻撃の手を緩めないので点が入っていきます。さらに「オッケーよ!!」と子どもたちを励ましますのでようやく子どもたちに自信の笑顔が戻ってきました。そうして、あとはずっと勝ち続けました。
 3年生はAコートで全部勝ったので決勝戦を待っているとの報が入ってきました。保護者の方々の興奮は高まるばかりです。2年生はどうなるのかと心配していたところBコートで戦っている2年生も勝って、成績が一番良いので、わが二つのチームが決勝戦を戦うことになりました。
こうなると私としては若花田と貴花田が戦うことになったお上さんのような心境です。
「3年生が勝つのはわかっているのだから2年生を応援してやってください」と保護者にお願いし、子どもたちには怪我をしないように(またそれかよと思ったでしょうが言わずにおれない私)そして表彰式には最後まで誇りある態度でいるように(あっ!そうかと改めて気づいてほしい)ということばをいい、ひとり化粧室に行ったり荷物をまとめたりしました。
何しろ決勝戦を同一施設がやるのですから、いつものような死に物狂いの声援の盛り上がりもなく静かな決勝戦を仲間で楽しんだようでした。




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コメント
- 大活躍でしたね -
ユニホッケーとはどんなものか知りませんでしたが、ネット検索で大体のことはわかりました。児童館の子供たちの、やる気を引き出した指導ぶり、お見事です。読書のレポートばかりでなく、職場での活動の一端がわかって、心強いです。
2010/02/15 18:04  | URL | 志村建世 #-[ 編集]
- 志村さんへ -
 下書きが本文になってしまっタブログを読んでいただき恐縮です。気が付いたら仕事に出かける時間になっていて大慌てで変な記事になってしまったのです。すこし書き直しました。
 ユニホッケーは誰も知りませんよね。近年区民スポーツセンターが全国で準優勝をしているらしい地元のコカ・コーラウエストレッドスパークスホッケー部(家に帰ってPCで調べてみました)というのを応援していて裾野を広げようとこんな大会を企画しているのです。その日は午前中このメンバーの人たちが子どもの指導に当たってくださり子どもたちはサインもしてもらっていました。私の施設の指導をしてくださった選手は「このチームは一番レベルが高いねと全部を見て歩かれた監督が言っておられました」と耳打ちをしてくださいましたので他のチームの様子がわかりもしかしてと期待はしていました。テレビ局も来ていたりしてテレビでも放映されたと今日聞きました。来週からは地元のふれあいチャンネルで毎日3回放映されるようです。それについてはやれやれと言ったところです。
2010/02/15 23:27  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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