『逃げていく街』のⅡ
2010/03/01(Mon)
 山田太一 著 『逃げていく街』のⅡ を読む

 この章では、職業人としての立場は出来るだけ遠ざけようとしながら、テレビドラマへの思いが綴られている。
 その思いは専門的に深く掘りおこして語られているので、読み物としてはそうとう深いものを感じつい姿勢を正して読みふける。
 木下恵介映画の助監督を7年やって、テレビドラマの世界に入っていった彼が、おなじ映像と音声とで創られる映画とテレビドラマの違い、観客の視聴する状況の違い、時代の流れを語る。

 ワンカット、ワンシーン映像を創って、映像に語らせていく映画。
 『寺内貫太郎一家』に象徴されるセットは決まっていてセリフで語らせるテレビドラマ。
 暗いところに集客して集中してみてもらう映画と、アイロンをかけながら、或いは宿題をしながら、電話をかけながら、集中は期待できない視聴者へのテレビドラマ。
 戦後、日本の家族は「個」の発展をなるべく邪魔しないように小単位であることを目標としたので、そういうものを題材にした嫁姑のいざこざ物語がおおくつくられ、そして不必要な親を捨て村を捨て「核家族化」していく家族を描く。「エゴ」が求めたぎりぎりの小集団「核家族」では、そこに問題を投げ込んでそれが解決すればその家族は安泰になったというような内容のものが多く「個」や「エゴ」が現在どのようであるのかを見つめたものは少ない。そして家族以外のものに結びつきを求めようとする作品が現れてくる。

 昨日職場で、「東京の実家のすぐ近くに1人息子を連れて引越し、新学期は東京でというはなしを今日子どもに打ち明けました。子どもが泣いて泣いて・・・4月までよろしくお願いします。」と、母親が挨拶にこられた。昨年のこの頃お父さんを急病で亡くした家庭のお母親だ。「お母さんが死んだら僕は1人だ。と言って時々泣くんですよ。」とも話された。お父さん子だった彼がお父さんの急な死に出会っての困惑は手に取るようにわかる。
 そんな家庭が大半になりつつある現在。
 テレビドラマはこんな身の上相談にどうこたえていくのだろうか
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