『聖徳太子』上 3
2010/03/06(Sat)
 梅原猛 著 『聖徳太子』上のⅡ章 を読む

 Ⅱ章 仏教  亡国と興国の教え

 この章では、Ⅰ章で見た各国への仏教の広がりとその信仰がもたらす国の興亡との総括を試みている。

 梁と百済。武帝と聖明王。
 両者ともに篤く仏教を信仰していた。
 知識も広く見識も高く、人格も高邁な希に見る優れた王である。にもかかわらず、彼らは悲劇的な死をとげ、国家を滅亡に導いた。

 新羅の真興王。じつは彼もこの二人に劣らない仏教信仰者であった。なのにどうしてより国を強く栄えさせたのか。との問いに新羅の真興王の制定したという花郎の制度をあげている。
 また、仏教の第一の戒、殺生戒の教義を緩め「時を選び物を選んで殺す」と俗人向けの宗教に変更したことを上げている。

 この章の花郎の記事に、私は自分の今までの思い違いに気づかされた。
 私は、花郎とは朝鮮半島全体にあるものだと思っていたし、仏教を教え広める仏教者で、中でも、品がよく教養があり、姿かたちや声の美しい男性の若者で、人々には今のアイドルのように人気がありあがめられ大切にされていた人のことを言っていたのかと思っていた。そして、百済観音や広隆寺にある弥勒菩薩などは、それらがモデルになったのではないかと勝手に想像を膨らませていた。
 しかしそうではなくて、朝廷に推挙する人材として花郎を選んだというのであった。

 ここでは、もともと古い民族信仰に基づく東南アジア各地にある一種の宗教青年団の花郎を真興王が制度化したのか、ここでつくられた花郎という制度が以後東南アジア各地の宗教青年団というようなものになっていったのか読み返してもわかりにくい。もしかして、日本の明治維新などでも若衆宿と言うようなところから若者がたちあがったところもあるが、それも花郎の流れを汲むものではないかと又勝手な想像が膨らむ。






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