『聖徳太子』上 4
2010/03/12(Fri)
 梅原猛 著 『聖徳太子』上のⅢ章 を読む

 Ⅲ章 蘇我と物部の宗教戦争

 この章ではまず、
 太子誕生574年、622年死亡
 蘇我が物部を撃つのが587年
 であろう歴史年表を想定する根拠を語る。

 そして、552年の仏教伝来から、35年目の用明天皇の元年(587年)に初めて天皇が仏教崇拝を宣言する。それまでの廃仏派と崇仏派の思惑と興亡、宣言以降さらに物部氏が孤立を深めていく過程が語られる。

 この時代のこういった歴史の過程をこれほど詳細に扱った作品に始めてであった。
 年表を横に置きながら東アジアの状況の詳しい事情がわかった上で読み進む楽しさは格別だ。
 ただ、「人・物・事」を平明につづる部分と、梅原猛が歴史上の人物の行動について私見を述べる部分については、多少抵抗を感じる部分がある。
 特に穴穂部皇子が敏達天皇亡き後の皇后である炊屋姫(カシキヤヒメ)を犯そうとする事件に対する感想などには、その表現に立ち入りすぎる感が否めない。
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コメント
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物部氏らの神を祭る人たちが仏像を見たとき、崇仏派の人たちと同様の驚きを持ったのではないかと思います。嫉妬のあまり殺人を犯すという心境に近いものがあったと思います。ビートルズが日本に上陸したとき、年配の言論人たちが極端に反対したのを思い出します。自分たちの存在が揺るがされそうになる時は、体制は猛反発するのですね。でも新しい神(仏)は寛容を持って広がっていくのでしょう。寛容と友愛は煮ている感じがしますが、わが首相は使い方がとても曖昧に思えます。
2010/03/13 13:11  | URL | かわぐちえいこう #-[ 編集]
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 前の章で、徳のある王を持った中国の梁と、百済がともに国を滅ぼすところを読むと、鳩山さんの顔がちらちら浮かびます。
 老婆心ですが、あらゆる人の心の痛みに応えようとすることが、無責任さに繋がるのですから政治はつくづく難しいと思います。私も切るということが苦手なので鳩山さんの苦悩を責める気持ちにはなりませんがこのままだとうつ病になりかねません。
 普天間のことを思うと、明治のどこで新政府を立ち上げようかとまよっていた大久保利通の家の郵便受けに投書をした前島密のような人材がいないものかと思います。
2010/03/13 18:17  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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