『聖徳太子』日と影の王子
2010/05/03(Mon)
黒岩重吾 著 『聖徳太子』日と影の王子 を読了する。

 上下2巻。最近の私の読んだ書物の中では梅原猛の『聖徳太子』とともに大作で、読み込むのにずいぶんエネルギィーを消耗した。ちょうど仕事も年度末年度始で多忙でもあって本を開けない日も多々あったので長い期間これらの本を抱え気持ちはこれらふたつの本によって聖徳太子の時代を彷徨した。

 梅原猛の『聖徳太子』はその時代の中国・朝鮮半島の新羅・百済・高句麗の歴史とその政権の性格について検証しながら、日本のおかれている状況を語るために多くの紙面をついやしている。またそれらの国の思想史や文化史をも検証し日本がそれを受け入れて新しい国家を作り上げるためになした聖徳太子の偉業をうかびあがらせている。

 そして、黒岩重吾の『聖徳太子』は小説としてその時代の中に生きる人間聖徳太子を描く。
 物語は、聖徳太子14歳、587年の物部合戦からはじまる。
 用明天皇亡き後の崇峻天皇の即位。
 そして、法興寺の建立。
 欽明天皇の遺言である任那回復のための大軍を筑紫に送る。
 馬子による崇峻天皇の暗殺。
 斑鳩の宮の建設。
 官位十二階制の制定
 これらの事柄の中を流れる聖徳太子と馬子の権力争いの駆け引きにこの物語は終始して終わる。

 この作品は『日本産経新聞』の夕刊の5年9月4日~86年12月27日に連載されたという。
 読者が、いつ新聞でこの物語を目にしても聖徳太子のことがよくわかるようにとの思いからか、3歩進んで2歩下がると言うような文章のかたりかけがあり確認の説明が多く大作の割には話が前にすすまずあげく途中で筆をおいたとの感がある。
 おもしろく、たのしませていただいただけに、少なくとも622年聖徳太子の死、くらいまではこの調子で続いてほしかったし、さらに太子一族の滅亡の様子まで、そして、秦河勝の最後の様子も筆を進めてほしかった。

 ともあれ、高校生の頃ヤスパースの解説が裏面にあるA5判の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像に魅せられて以来、やっとその周辺にたどり着いたという思いで胸を熱くした2010年4月だった。


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コメント
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黒岩重吾は楽しく読みました。でもあかねさんの読みは深いですね。私は内容もすっかり忘れてしまいました。、今私は梅原猛が監修した、人間の美術「仏教の幻惑」という本を開いています。広隆寺の半跏思惟像も魅力的ですし、中宮寺の半跏思惟像にも惹かれます。人は亡くなるととても美しい顔をします。普段の私たちの顔は、怒っている醜い顔なのでしょうか。仏像と対峙すると、心が洗われますね。
2010/05/06 14:03  | URL | かわぐちえいこう #-[ 編集]
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1300年後、河勝は聖徳太子から賜ったこの半跏思惟像が国宝第一号になり、倭の国の民をその静謐な美しさで魅了すると思いもしなかったでしょう。眺めていると彼の賜ったときの思いや、拝したときのまなざしを思い浮かべますね。
2010/05/07 11:56  | URL | 深山あかね」 #-[ 編集]
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