「九州への旅」 ②
2010/07/20(Tue)
 北九州市から博多に行く途中、遠賀郡岡垣町に夫のお友達の家がある。
 彼女と会うのがこの旅の目的の一つ。
 目当てのお家近くで、「表札を見て!このあたりだから」という夫に「なんていうお名前なの?」というと「福島瑞穂さん」という「どこかで聞いたお名前ね」といっていたらお家の前に出ていてくださった。
 「じつはノギヘンが足りなくて福島瑞恵なの」と楽しく自己紹介をしてくださる。彼女はステンドグラスの創作をしておられる。家中を暗くしてステンドグラスにあかりを入れていくつかの特選作品なども交えてたくさんのすばらしい作品を見せてくださる。お庭に建てられた工房でも作品を見せていただきステンドグラスづくりの工程の説明を工具や機械を見ながら聞く。「夫が国家公務員で転勤がおおいいでしょう。単身赴任もおおくて広島から誰一人知らない町に来て子育てをして私ほんとに頑張ったのよ」とおっしゃる言葉の向こうにこの工房にこもって孤独に耐え1人でガラスを切ったり磨いたりされている姿を思い浮かべる。
 そうはいってもとてつもなく明るい人だ。色々な工芸作家との交流もあって家具調度品も芸術品が多い。
 夫との話を聞いているうちに、二人が知り合いになったきっかけの「羽立(はたち)会」という会が、原爆で焦土と化した昭和20年に生まれた広島市の青年が、社会教育の青年学級法の適用を受けて立ち上げた会で、親がいないなどのために進学できなかった人たちが教育委員会や広島大学の先生を講師に迎えて勉強をした会であることがわかった。彼女の一番の友達はもう亡くなったが高卒初のRCC中国放送のアナウンサーで若くして女性で社会部部長になられたかたで広島の人で彼女の声を知らない人はいない。被爆50周年のとき被爆者の特集番組で夫が彼女の依頼を受け30分番組に出演したことがある。30分番組と言えば相当な量の取材を受けるのだが彼女が依頼してきたのに一向に挨拶にも来ないし出会わないなと夫は思っていたという。その後間もなく癌でなくなられたのだ。今思えば、取材を受けた夫よりも彼女の方が被爆の辛酸を味わっておられたのかもしれない。
 そして男の子の一番仲の良かった友達は、結核で1年遅れで広島大学の工学部を卒業されたが卒論の都市計画論が広く認められて都市整備公団に迎えられた方だそうだ。「羽立(はたち)会」の人たちの絆の強さは共に学びあったところにあるようだ。
 私の夫については「H君は若いお嫁さんをもらったそうよ」と聞いていたわよと言われたので二人で吃驚した。私と夫は4歳しか違わない。若いお嫁さんとは普通いわないだろうと思う。会の中では夫にもいろんなことがあってまったく関係ない私と結婚したことが意外だったのだろうと想像した。
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