お通夜に行ってきました。
2010/08/25(Wed)
 亡くなられたのは72歳の男性で職場関係の方です。
 私の職場では年に一度「細田さんのワクワク園芸教室」というのをやっていました。
 その細田さんが亡くなったのです。
 私は今の職場が4年目なので細田さんとは3年半のお付き合いでした。
 癌になられてそれでもお願いすると軽トラに何もかも積み込んで来てくださいました。
 花と子どもたちが大好きでした。
 それに今年は植物公園の補助を受けてゴーヤで緑の日よけを作るという計画でその植え付けもお願いしました。 「調子が悪いので同じ園芸仲間の人にお願いしておきました」とおっしゃいましたが密かに期待していたとおり途中から来てくださいました。
 奥様も調子を悪くされていたのを聞いていたので「奥様の調子はいかがですか」と伺うと「午前中もあれの病院に行ってきたがことにはならんかった。わしが病気で心配かけてあんなにしてしもうた」とやせ細った身体で辛そうにいわれたのが私との最後の会話だったかもしれない。
 最初細田さんのお宅を訪ねたとき花一杯の玄関にご夫妻でなかよく並んで座っておられたのを思い出す。

 通夜の席で読経の後のお話では
 「細田さんは私のライバルでした。」といきなりおっしゃった。
 「仕事でも趣味でも生き方でもいろんな意味でライバルでした。
 ある日お寺のゴルフコンペに細田さんをお誘いすると快く参加してくださり、そのときは私の方が上手でした、ところがだんだん腕を上げられ、お寺のコンペだけでなくいろんなコンペで優勝されるまでになりました。胃の全摘手術をされてからは卓球だけされるようになりましたがこれも向かうところ敵なしでした。私は細田さんは負けず嫌いだとおもっておりましたがそうではなかったのです。彼は〇〇ダムでなくなった村の出身で立ち退き問題の間、長男である自分はもう家を出ていて後を引き継がれた弟さんが49歳の若さで亡くなり立場上大変な苦労をされたのです。細田さんの何事にも努力をするという姿勢こそが、その苦労との戦いのなかを生き抜いてこられたという姿勢であったのかと思いました」といわれた。苦労話はされていなかったがその状況の話はそっくり聞いていたことを思い出した。
 「この春、92歳の母親が亡くなりました。
 私は福岡の出身です。夜、福岡の兄から母が危篤だという連絡を受けましたが、あくる日葬儀の予約が入っていたのでそのお勤めを済ませてから急いで帰るからと一方では母の回復を期待しながら伝えました。
 明けて2時に亡くなったと知らせを受けました。私はいわゆるマザコンで母より大切なものはこの世にありませんでした。飛んで帰りたい気持ちで一晩中母親のことを考えました。
 親とは何でしょうか。親とは子どもがいて始めて親になるのです。親心とはその子を思う心です。わが子が幸せになってほしいという気持ちです。しかし、ただ幸せになればいいというだけのものでしょうか。親心とは、その時々の子どもの苦しさ悲しみ喜びそんなものをすべて請合うのが親心ではないのだろうかと思いました。そうだとすれば、飛んで帰りたいのにお葬式のお勤めを果たさなければならないといういう私の心を請合ってしっかりお勤めをするのですよと見守ってくれているような気持ちになりました。そうであるなら、いっそう誠心誠意お勤めをしようという気持ちになりました。
 それからは何をするにも母親の親心というものに抱かれていると感じられるようになりひと時ひと時を大切に生きられるようになったのです。
 誰も1人で生きているのではない。目に見えなくても耳に聞こえなくても親心仏心に包まれているんだということを知っていてください。そんなことを話させていただく細田さんの葬儀のご縁にありがとうとお礼をもうします」というようなお話をされた。

 最近葬儀屋で行われる葬儀では、なくなった方とお勤めをされる方とのご縁がないことの方がほとんどで、こうした亡くなられた方のお話は喪主など挨拶をされる方からのお話しか聞けない。
 私の横に座っていた若い青年が母親の話のところでは目頭を押さえていた。
 ほんとうに私も細田さんの葬儀のご縁で、自分の両親、そして子どもに対する親心について改めて思いを深くした。  
 
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