『八木用水ものがたり』
2010/12/12(Sun)
 八木用水とは私が住んでいる町から広島市街地へ続く途中の地域の用水で、この絵本はその用水がどのようにしてできたのかという1700年代の話を物語っている本。
 祇園公民館の「祇園まちづくりプランプロジェクト」の発行になっている。

 渡辺郁夫氏がこの用水の流域に暮らしておられて、この用水から水車で田んぼに水を汲み入れていた子どもの時代の風景を書き記しておられたので、ふと読んでいない『八木用水ものがたり』が家にあることを思い出し手にした。
 2・3ヶ月前、近くの劇団が『八木用水ものがたり』を公演するというので券を2枚買っていたのに、自分達に用事があるのを忘れていたことを思い出し、隣の奥様に差し上げたらお礼に買って来てくださったもの。
 ここでは水がないことに苦しむ農民を助けようと八木用水を作ることを思い立った大工の卯之助の働きが中心になっている。そして八木用水ができることによって9つの村が潤い、多いところでは181.0%も出来高が伸びたことが記してある。
 以前この用水のすぐ脇の小学校の敷地内の児童館に3年間勤務していたことがあって、いつも綺麗な水がとうとうと流れていたのを思い出す。
 その頃はその用水には思いが行かず、300メートルくらい東に大きな太田川が流れていて、通勤途中、太田川橋から川下を見て、この川筋に石を積んで畑を作り芋などを植えていたが洪水のたびに流されて賽の河原の石積みのようなおもいの重労働で苦しかったことを書いた新聞の投稿欄の記事を思い出していたりした。確かにその太田川は河川敷はとても広いが川そのものは低く周辺の水田の用にはならない。
 この卯之助と言う人は郡中御普請所の御用聞の職をしていたが八木用水の完成の功により藩から生涯2人扶持を給せられたとある。その子孫もたかい土木技術により各地で活躍したとある。また庄原の上野池の改修工事も手がけたとあり、広く活躍したことが伺える。
 用水の地図を丁寧に見ていると、用水は武田山のふもとの村々を取り巻いて流れている。武田山は安芸武田氏の所領があったところだ。武田氏は戦国時代に二十数キロ北の現在の吉田町を拠点とする毛利氏によって滅ぼされるのだが、毛利氏は吉田町と言うくらいだから良く米が取れる所領を持っていたし、三本の矢の一本である息子の吉川は豊平と言う地名で豊かな平野を所領していたので、武田氏は水のない米の取れない所領を持っていたために毛利に滅ぼされたのかもしれないなどと戦国時代の経済基盤に思いをはせる。
スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(2) | TB(0) | ▲ top
<<『愛する能力』 | メイン | 「つれづれ日記」>>
コメント
-  -
吉田町というのは、よく米の取れる土地という意味なんですね。歌手の吉田拓郎さんは広島の出身だと思っていたのですが、実は鹿児島生まれだとは知りませんでした。小さいとき親の離婚で母方の広島に住んでいます。彼の唄に「吉田町の唄」というのがあり、ずっと広島県の吉田町の出身だと思っていました。あかねさんののブログに吉田町が出てきたので調べましたら、新潟県の吉田町の若者がご当地ソングを作って欲しいと、拓郎さんに頼んだということです。新潟の吉田町です。きっと米の産地なのでしょう。そんなわけであかねさんのブログから、また一つなぞが解けましたよ。
2010/12/15 14:03  | URL | かわぐちえいこう #-[ 編集]
-  -
 この記事を書いた後、「吉田」も「豊平」もこのたびの町村合併で亡くなったかもしれないなどと思いました。私の実家の隣には「君田」とか「金田(きんで)」などと言う地名もありますがこれも残っているかどうか不安です。町村合併でいつの間にか浦島太郎になりそうです。
2010/12/15 22:10  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/380-fda69f8e

| メイン |