まがつびよ
2011/01/09(Sun)
まがつびよ ふたたびここに 来るなかれ
      平和をいのる ひとのみぞここは  湯川秀樹

 今月7日に平和公園に行った。
 腰を痛めたので山歩きを中止いている分、平地をできるだけ散歩できたらと思っている。
 
 100メートル道路を東から平和大橋を渡ると平和公園だが公園の反対側の袂に「広島高等女学校原爆慰霊碑」慰霊碑があった。
 この慰霊碑の説明を読んで涙しないものがいるだろうか。
 この説明がパソコンにあったので引用する。

 ≪現在の平和記念公園~平和大通り一帯(爆心地(ばくしんち)から約500m。当時は材木町~木挽町(こびきちょう))の建物疎開作業(たてものそかいさぎょう)に来ていた広島市立高等女学校の1、2年生544人、職員8人は、全員が亡(な)くなりました。
この学校では他の動員先を含(ふく)め、679人が被爆死(ひばくし)し、市内の学校では最も多くの犠牲者(ぎせいしゃ)を出しています。
「友垣(ともがき)にまもられながらやすらかに ねむれみたまよ このくさ山に」(宮川雅臣(みやかわまさおみ))という碑(ひ)の裏(うら)の短歌作者は当時の校長です。
中央の少女が持つ箱には、原爆(げんばく)の原理になったアインシュタインの相対性理論(そうたいせいりろん)からとられた原子力エネルギーの公式(「E=MC2」)がきざまれています。連合軍の占領下(せんりょうか)、「原爆(げんばく)」という文字が使用できなかった当時の事情を表しています。≫

 そのすぐ南隣には天神町町内会の慰霊碑があった。
 天神様の姿が描かれてある銅版が石碑にはめ込まれている。これらはいずれも平和公園のはずれにある。その緑地を西に進んで西平和大橋まで進んで100メートル道路を渡り平和公園側の緑地を東に引き返す。
 ここにはあの有名なぐったりした教え子を抱え、自らも被爆した女性の教師が、悲嘆にくれ空を見上げている[
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑]のブロンズ像がある。
そこには「太き骨は先生ならむ そのそばに ちいさきあたまの骨 あつまれり」と刻まれている。

 その銘文を読んで涙が止まらなかった。
 日ごろ子どもの養育にかかわっているいるが、その子どもたちすべてのこんな姿を見たら気が狂ってしまうのではないかと思ったりした。

 いま少し東に進んで平和公園の玄関ともいえる広場に至ると表題の「まがつびよ・・・」の銘文を刻んだ少女と子じかの戯れるブロンズ像がある。

 まがつびよの意味がわからなかったので帰って広辞苑を引いた。

 ≪まがつひのかみ[禍日神]の略。災害・凶事を起こすという神≫とあった。
 
若いころは職場がわりと近いところにあったのでお昼休憩によくこんなコースを散歩したが、そのときとどこが変わったか説明つかないが一人で歩いたためか70年前の8月6日のことをしきりに考えた。公園を出てNHK広島支局のビルにむかって歩いていくと手前のビルの地下に嵯峨というグリル喫茶が今もある。このビルにはかって西松建設があり40年も昔のことだが西松建設の方々が時々この嵯峨でお昼をご馳走して下さったのを思い出す。



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