『吉田拓郎詩集ばんから』
2011/01/10(Mon)
 少し前、文庫本を探していたら『吉田拓郎詩集ばんから』という本が出てきた。
 我が家では、歌手などの本は大体子どもたちの買ったものがほとんど。
 でも、文庫本なのにきちんと我が家の蔵書印が押してある。
 もしやと思って夫に聞いてみると昔買ったんだという。
 ちょうどカワグチエイコウさんがコメントに吉田拓郎のことを書いてくださっていたので読んで見る気になった。

 最後の解説を先に読んだ。

 ≪ゼンキョートーの同志と恋に落ちた。二人で大袈裟に「革命か、恋か」と悩んだのもこの時期だった。
 彼は、あるセクトに入っていて、北海道へオルグ活動のために出発することになっていた。行くか行かぬかで悩み、結局、彼は行くのを断った。そのことをきっかけに、私も少しずつ運動から離れた。呆気ない”敗北宣言”だった。・・・・・拓郎の『旅の宿』ばかり歌っていた・・・・・誰かが酔っ払って「拓郎には思想性がなさすぎる」と、ムツカシイことを言い始めた。別の一人が苦労して買ってきた”剣菱”の冷やを紙コップでグイっと飲み干し、「バカヤロー」と静かに言った。「だからいいんじゃネェかよ」
 この何ということのない会話を聞いていて、私は何故か、自分の中でひとつの時代が終わり、別の時代が始まったことを知らされた。≫
 ≪たとえて言うならば、吉田拓郎は、時代の怒号と喧騒のあとににじみ出るようにして生まれた、時代と時代を結ぶ若き熱血漢だったのだと思う≫

 この解説を読んでいたので彼の詩の時代的背景がわかって彼の存在の意味を味わうことができた。
 じつは私にはこの時代のこのような活動には何故かまったく興味がなかった。ムツカシイことを考える全然別の世界の人のように思えた。

 高卒でタイピストになった私たちといえば、たまたま広島大学の事務局に勤務する友達と二人でアパートを借りていて、彼女は給与を支払う課のタイピストとして本部にいたのだが、「大学紛争で大学の職員に給料が滞ってはいけないので一時的に付属病院の原爆医療研究所に事務所が移転するのよ。」という会話があったくらいだ。余談だが、彼女は飛び切りの美人で魅力的な女性だったので、このときのご縁で医学部の学生数人にプロポーズされ今ではお医者さんの奥さんに納まっている。

 私は建設会館でだいたい1日1回合同庁舎の中国地方建設局に行って、あとはのんびりタイプを打っていた。そこでは建築関係や土木関係の人たちの中にあって構造計算や強度計算をしたりしてデザインをし設計をしてそれを形に変えていく仕事をする会社の人たちの中にあった。ごまかしの効かないものづくりに情熱を持っている人たちの中にあった。歌は民謡や菅原洋一のうたなどを歌っていたような気がする。

 私とは違った人たちの思い入れのある一時代への決別の歌。
 「意味」とか「思想」とか「概念」とかない歌に出会った。



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コメント
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拓郎の歌は、押し付けない、語りかけるような感じの歌ですね。世の中むずかしいこと言っても、何も変わるものじゃなし、自分の友人に書く手紙のような、気取らない感じが好きです。たぶん拓郎はシャイな性格かもしれません。全共闘世代のあとの虚脱感のような時代、そんな時代から語りかけてくるような、懐かしい友達が歌っているような、感じがする曲風ですね。。
2011/01/16 12:20  | URL | かわぐちえいこう #-[ 編集]
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 同じ時代を生きてもいろんな青春があったんだなと感じます。
2011/01/16 15:02  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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 深山あかね様
建設会館へタイピストとして通われたそうですが、ご夫君との馴れ初めが見えて来ました。
以前、えいこう様の撮した石組みのような崖へのコメントを忘れていません。
ご夫君は「深山霞」さんとして志村様の方の連歌へ顔を出して下さるようになりましたが「みどり」のことも是非よろしくとお伝え下さいませ。
 本日、学生さんたちの収穫祭の記事へ拍手とコメント入れさせて頂きました。
其方も覗いてみて下さい。
コメントの投稿が、ややこしいと敬遠していたのですが、全部の箇所をクリアしなくても入れると解りましたので今年は度々伺わせて頂きます。
広島の方とお知り合いになれましたこと、これも何かのご縁でしょうか!
 更によろしくお願い致します。
2011/01/20 11:51  | URL | みどり #-[ 編集]
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みどりさんへ
 コメントありがとうございました。
 拍手のほうへのコメントもありがとうございました。
 拍手は言われてはじめて気がつきました。
 夫と知り合ったのは残念ながら建設会館ではないのです。
 建設会館での男性は天下り年齢の方ばかりでした。出入りされる方は広島の業者で社長、大手ゼネコンでは営業課長又は部長年齢の人で、未婚の人は業界新聞に2人くらいおられた程度です。
 仕事関係で夜ご馳走していただくということもありましたが、当時は、若い人たちは昼働いて、夜は何か習い事をしていて、私も和裁・編み物・スケート・そういえば広島大学の夜学に物理の聴講に半期いったこともあるといったようなことで、さらに広島市青少年センターに青年学級法に定められた青年学級があってそこに料理を習いに行っていた1年間でたくさんの人と知り合いになったのです。毎日老人と接していたせいか若い男性は幼く見えて仕方ありませんでしたが、きっと夫が老けていたのでしょう、夫はあまり幼なそうに見えなかったのかもしれません。ただそれだけです。結婚して夫が最初にしたことは私を広島県病院に入院させることでした。毎日楽しく好き勝手に暮らしていたのに何故か高校生のころからの胃潰瘍が悪化してはいましたが、ほんとにすることが老人くさいでしょ。まあ私も最初にしたことは夫の浴衣を縫ったことでしたが。
 わたしも、みどりさんのように本格的に歌を詠まれる方と知り合いになっていることでブログというものの不思議さを感じています。志村さんのように編集者としてそつのない文章をかかれる方、花てぼさんのように豪快で人生の楽しみ方を知っておられる方、うたのすけさんのように粋な方、エイコウさんのようにきっと同級生だと思うのですが自分に正直に生きながらそれを上手に表現できる方。そんな人のほうが隣の人より親しくなるなんてほんと不思議でありがたいことだと思います。
2011/01/20 21:46  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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