「漱石の悲しみ」
2011/03/18(Fri)
 『司馬遼太郎講演全集』Ⅲのなかのひとつ。

 明治は文章の大混乱期。そのなかで漱石は、現代、だれが書いても通用する文章をかき、文章の混乱期をおさめさせたと位置づける。
 『坊ちゃん』は、式亭三馬のにおいがある。式亭三馬には人のくせをテーマとしてかく。「親譲りの無鉄砲で」と「江戸っ子の正義感」というふたつのくせをテーマとし、江戸時代の日本風土の中での小説の伝統にのっとってかいたという。
 その話をされるのが自身いやだったという『草枕』は美文調で、当時、口語でありながら、文語の彩りをもつ作品に世間は感激したという。
 漱石の本領とでもいうべき『三四郎』は明晰な文体でかかれている。行動派でなくて徘徊派。試しつ、眺めつ、行きつ、戻りつ、徘徊の楽しみを知っている。三四郎の性格は漱石の分身だが、熊本から東京に出てくる。その東京は新文明の発祥の地で日本で唯一の配電盤機能を果たした都市だったと司馬遼太郎は当時の東京をかたる。

 漱石は英語の語学のためにイギリスの留学し、大学の講師をしていたが、新聞社から話があったのでやめてしまった。明治時代という立身出世の時代に出世というカードを全部持っていたのに全部捨てた。
 菫ほどな小さき人に生まれたし
という句を残してその心境を吐露している、とのべる。
 ずいぶん昔のことになるが、漱石の作品の解説などを読んでいたことがある。
 読んでいくにつれて、週刊誌の芸能記事を読んでいるような気分にもなりだして、興味が薄れていった。
 おそらく司馬遼太郎も何らかの理由で興味が薄れていたのであろう。しかし、読み返してみて、の解説を承ると、ちがった漱石が見えてくる。というより、偉大な作品群にあっとうされて、漱石への理解ができていなかったことに気づく。
 いま、司馬遼太郎の作品解説を読んで、漱石の作品が日本の言語文化に及ぼした影響について考える。
 



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