『我が輩は猫である』
2011/07/14(Thu)
夏目漱石著 『我が輩は猫である』 を読む。

 10代後半、20代、30代前半、にはよく読んでいた。
 40代、50代は読んだ記憶がなく、60代で久しぶりに読んだ。

 『我が輩は猫である』はいろいろ出ているし、ほとんどの家庭で何冊か所蔵もされているとおもうが、私が読むのはきまって旺文社文庫の特性版の『我が輩は猫である』である。
 私の読書はほとんど濫読。唯一この旺文社文庫の特性版の『我が輩は猫である』だけはなぜかいつもはまってしまって、ていねいに精読をしてしまう。

 この旺文社文庫の特性版の『我が輩は猫である』は各ページに注釈がありそのことばの出典や意味やここではこのようにもじっているなどとていねいな説明がある。その出典の書籍の幅の広さに若いころは仰天し恐れ入ってかしずいて、なんどもよみかえし、こともあろうに紙がヨレヨレトロトロになっている。枕元において寝返ったときのことを考えるといちいち丁寧に遠ざけておいている。

 20年ぶりに読み返してみると、あらためて十一章の迷亭、独仙、寒月、東風がたずねてきての座敷でのやり取りには大笑いする。そして「十一畳の客間を弥生の春に開け放って」などの風流な表現が贅沢にあちこちに見受けられて感嘆する。

 そして、金田夫婦と鈴木の会話
 ≪「・・・よしんばちょっとやそっと、何か言ったって子供じゃありませんかまったくやけで少し木が変になってるんですよ」「へえどうしてまたそんな乱暴なことをやったんで・・・・」とこれには、さすがのお客さんも少し不審を起こしたと見える。「なあに、ただあの男の前をなんとか言ってと通ったんだそうです、すると、いきなり、ステッキを持ってはだしで飛び出して来たんだそうです。よしんば、ちっとやそっと、何か言ったって子供じゃありませんか髯面の大僧のくせにしかも教師じゃありませんか」「さよう教師ですからな」とお客さんが言うと、金田君も「教師だからな」と言う。教師たる以上はいかなる侮辱を受けても木像のようにおとなしくしておらねばならぬとはこの3人の期せずして一致した論点と見える。≫

 このあと彼が教師を辞めただけにこのような思いの部分が印象に残る。

 
 
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コメント
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私も最近(去年あたりですが)「吾輩は猫である」を読んで、こんなにおもしろかったのかと思いました。でも最後まで通して読んでいないのです。また紐解いてみたくなりました。
2011/07/22 21:19  | URL | 花てぼ #-[ 編集]
- 花てぼさん -
『我が輩は猫である』は野暮な私でも大笑いします。剣玉を子供に教えるとき、「心をどこにおこうぞ、相手の心に心をおけば相手の心に心を奪われるなり・・・・」などと子供の前で冗談をいいながらやったりしていますが、あれは迷亭のおじさんがいうせりふだったんだなどと思い返すのも楽しいです。
 
2011/07/24 19:16  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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