『五箇山ぐらし』
2011/08/01(Mon)
かつおきんや著 『五箇山ぐらし』 を読む

この本はこの春転勤して新しい職場の図書室の本棚にあったもの。散らかっている本棚を整理していたとき目にして以来ずっと気になっていた。
期待以上の書であった。
天保10年、前年の夏加賀の国石川郡一帯の田がイナゴの害を受けて不作だったために、年貢を減らしてもらうよう実地検分を願い出た。藩では聞き届けた風を装って8月26日に金沢の町外れの西念、北安江、南新保という3村をおそって村役を捉え皆得の見せしめのために拷問にかけ家財すべてを没収五箇村へ流刑にした。
そこまでが『天保の人びと』という本になっていて、この『五箇山ぐらし』はその続編と言うことだ。
越中の国城端町善徳寺の裏門から足軽に追い立てられて五箇山をめざす囚人西念の肝煎間兵衛以下5軒の家族37名のそれからの物語である。
物語の主人公は肝煎間兵衛の三男松吉という子供である。
五箇山とはどんなところか、行ってからどんな待遇を受けるのか、はたしてもう一度故郷へ帰ることが出来るのか、大人たちのそんな話題から、仲の良い組合頭又右衛門の末っ子の正市と子供ながらのいろんな想像をめぐらす。
到着してみると、たくさんある合掌造りの大きな家に、それぞれ家族ごとにあずけられることになり、松吉はおばあ、かあか、おとう、の4人で作助じいのところに預けられることになった。作助じいは丁寧に迎えてくれた。意地悪だと思えたほかのばあばと仙吉も肝煎間兵衛家族がまじめで働き者だということがだんだんわかってくるとしだいに心を開いてくれるようになり、収穫が一段と増え、生活も楽しくなってゆくことに喜びさえ感じてくれるようになる。松吉たちは働くことを通していままで経験したことのない米作り以外の生産活動を体験してゆく。
もともと五箇山は加賀の国の武士の流刑地であった。一人の武士が作助じいのところにお預けとなってくる。この武士とも最初はかかわりにくかったが次第に理解しあうようになり松吉たちは武士の考え方をも知るようになる。武士も自分の生活力や現実離れした学問に疑問を抱くようになり実践力のなさに一緒に働くようになる。
歴史的な出来事を子供の体験を通して語らせるこの物語に、厳しい境遇の中にも、希望や冒険や気づきがあり、物語に力強さを感じる。
このたびの、東北大震災でも、子供の目線での視点を持つことで自分たちのそれぞれの立場でのやるべきことをやり遂げなければとの思いがする。
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コメント
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 なかなかによい読み物でしたね。
召し捕られた者たちが斬首されず、ほっと致しました。
五箇村での新しい環境に馴染みながら、助け合って暮らした様子がほのぼのと嬉しさを誘います。
 現代も同じですね。
人を騙して苦しめる役人と、騙されても挫けず生き通すために頑張る庶民の図式です。
 挫けずに生きることの大切さが、解説の行間から伝わってきました。
いつもながら、なんとか読みたくなる解説でした。
2011/08/02 16:54  | URL | みどり #-[ 編集]
- みどりさん -
 五箇山での暮らしが落ち着いてから、おばあが亡くなるのですが、間際でおばあが遠く恐ろしい峠を越えてくる途中、死んでもいいと死に物狂いに歩いたと告白します。他の者がつらくて足が進まないとき、おばあを背負って行こうかという言葉をさえぎって元気に歩くおばあにあの時はみんな気持ちを押されて何とか歩いたけれどおばあの心のうちはそうだったのかと皆が思うところがあります。自分もそういう立場になってみると死ぬるまでがんばることも大切かなと教えられるのですが、果たして・・・。
2011/08/02 22:38  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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他人を受け入れるということは大変なことです。相手のみになって考える、なかなか難しいことです。受け入れてもらう方もそれ相応の覚悟をしなければならないですね。震災で親戚や兄弟を頼って移住していった人も、今後様々な問題をかかえて大変だと思います。自然災害に放射能汚染。なんとも気の毒なことと思います。早く希望を持たせることが政治の役目でしょうね。
2011/08/03 13:08  | URL | かわ #-[ 編集]
- かわさん -
他人を受け入れるのは大変な苦労があると思います。
この物語では、有無を言わせぬお上からの命令であると同時に、藩は合掌造りの各家の床下で硝酸をつくらせていましたが、先年はやり病で村人の7割がただったと記憶しますが亡くなり、加賀藩では火薬が足りなくて困っていたというのです。松吉のような子供は床下の作業がやりやすいのでその作業をやらされるのです。
 この流行病で亡くなった人たちにさわると病が移るので、場所を決めて死体を捨てたのでしょう「行かずの谷」などとなずけて、人を近づけないようにしていたのです。このたび被爆汚染でなくなった人たちはどのような扱いを受けるでしょうか。私は広島県の出身ですが被爆者の多くの人が被爆したことを隠して生き続けなければいけなかったことを思うとき、福島の人たちが痛ましくてなりません。
2011/08/03 15:03  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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