『立花隆「嘘八百」の研究』パート1
2011/10/24(Mon)
浅羽通明著 『立花隆「嘘八百」の研究』パート1 立花隆「教養」とは東大生の「シケブリ」と同じだった!を読む。

この本は、パートごとに、そしてさらにその章ごとに著作者が違っている。
この本がどのようにして出来上がったのか(たとえば週刊誌の立花隆批判のキャンペーンに次々に書かれていったものを一冊にまとめたものだとか)本のおしまいの部分などを見るがわからない。

このパート1は一章のみで出来上がっており、立花隆の「知」の捕らえ方についての批判である。

[サル学と女子プロレスを区別する知的根拠とは?]では、女子プロレスなどには知的興味がまったくわかないと断言する立花に、立花隆の「サル学の現在」などという著書を対比させて、知的レベルを云々する立花隆に疑問を投げかける。

[化学啓蒙と下ネタ、鬼畜ネタ]では、この本を面白くしたのは、テーマにセックスと殺しの話題が突っ込まれて書かれ、立花隆の俗物性だと思うとのべる。

[サル社会に「高級」「低級」の評価をして何を伝えたいのか?]では、平和と話し合いを何より好み戦争と暴力は野蛮だから反対とすればで済んできた戦後民主主義の価値観を、サルの社会に投影する立花隆に疑問を抱く。

[類人猿に投影された“願望”の限界]
進化論的に人間に近しいサルを研究すれば、そこに我々の起源、本質を考えるヒントが必ず見つかるとの思いに、サル学の権威者もそれを否定しているとのべる。

[社会ダーウィニズムかワンマン社長の演説か]では、「知的好奇心のすすめ」では、自らの思想的願望を、現代では生得的行動という言葉で置き換えられている「本能」としてすりかえられていることへの問題点を提起する。

[その正体は老舗週刊誌的「知」!]立花隆が読書から得ることをすすめる「有効情報」とは、『週刊文春』『文芸春秋』で受けを狙うに有効な情報であるとする。

[「事実」(ジャーナリズム)は「教養」[思想]を代行できない]立花隆の『東大生はバカになったのか 知的亡国論+現代教養論』で「現代の教養テクネーとエピステーメー」なる新教養教育の青写真を提示しているが、これは、ベーコン、ダランベール、西周らの啓蒙主義者が描いた人類知の体系図だとする。

[立花隆は、脱シケブリ=荒野をめざせるか!!]
「事実」では、満足できなくなった我々が今必要としているのは既製品でない教養を形成してゆく主体的姿勢であって、立花隆の言うシケブり的な既製品の教養ではないと述べる

パート1を読みながら何が言いたいのかほとんどわからなかったが、このブログを書くに当たって、整理していて趣旨がわかった。
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