「豹(てん)の皮」
2011/11/26(Sat)
 
 司馬遼太郎著 「豹の皮」 を読む。

 司馬遼太郎短編全集十二のなかの作品。

 ≪播州宍栗郡の山中で三つばかりの渓流が合うと、揖保川になる。流れのはやい川で、ここからは播州平野という竜野の町まできても、川の瀬々にはたえず波がしらが立っている。竜野には、朝夕、深い川霧がたつ。そうめんも産する。さらには脇坂氏5万1千石の旧城下として知られている。いまは城郭はのこっていないが、城があったころは、白壁のよく映える景色であったであろう。≫

この作品の出だしである。

 今年、5月の連休、夫と播州に遊んだ。
 早朝この城郭があったという鶏籠山に登った。
 夫は途中でリタイヤしたが待っていてもらって、山上に登った。城郭はなくなって久しいが、地表、乾いた枯葉のなかから瓦のかけらがちらほら見え隠れしていた。
 木々の間から、北から西に流れる揖保川を見た。赤松4代目城主はこの川向こうに豊臣軍を見た。4代続いた城を明け渡した。そんなことを思った。山を降りると、平山城がある。そこで数回城主交代があって寛文12年(1672年)脇坂安政が城主となる。

 その安政の2代前で賤ヶ岳七本槍の武将として武名を轟かせた脇坂甚内(安治)の生涯を描いていろ。
 話は、秀吉存命のころいわゆる「賤(しず)ヶ岳の七本槍」の一人に数えられた脇坂甚内が「貂の皮」を所有することにより、その験により不思議に栄達していく、というものがたりである。
 もとは六角氏の家臣とはいっても野伏(のぶせり)だった甚内の父が織田に寝返り戦死した。そのとき14歳だった甚内は、その思慮深さと、行動力とで秀吉のめにとまる。

 秀吉の家来になった甚内は光秀の丹波の赤井悪右衛門攻略への援軍として、秀吉より策をさずけられ、300ばかりの人数を付けられて行かされる。策どおりにことを運んだ。その時にオスメス両方の貂の皮をもらい受ける。以後目立つほどの武功もないのに貂の皮の験により大名にまでのぼりつめる。
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