「八条宮」
2011/12/23(Fri)
「八条宮」豊臣家の人々 第8話 を読む。

 これは司馬遼太郎短編全集十一のなかの作品。

 八条宮とは、正親町天皇の皇子・誠仁親王の皇子で、後にあの有名な桂離宮の造営をした八条宮智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう)である。

 彼は、公家の今出川晴季の斡旋により、1586年豊臣秀吉の猶子(ゆうし)となる。猶子とは猶(なお)子ノ猶(ごと)シから言葉が出ていて、養子とほぼ同じであるが、養子の場合は養家に住むが猶子は必ずしもそうでなくそのまま母親の実家の勧修寺家にすみ天皇の一族として暮らしていた。

 八条宮が秀吉の猶子になった年に八条宮の実父の誠仁親王がなくなった。いきなり16歳の兄が皇位継承者になった。その年の9月正親町天皇は先年からの希望のごとく上皇になり兄の周仁親王が位をゆずられて御陽成天皇になった。

 八条宮が14歳になった1589年秀吉に実子鶴松が生まれさらに御陽成天皇に子どもがなかったことにより猶子をとかれる。

 家康の天下になって、家康の朝廷への態度は信長や秀吉とは大きく変革された。秀吉びいきであった御陽成帝はこの変革に失望し天子であることを辞められようとし、八条宮に後を譲られようとしたが、家康は徳川に対するあてつけのようであり、八条宮は秀吉の猶子であったこともあるので今後一切天皇につくことは許されないとした。

 八条宮は、秀吉が猶子であった酬いとして独立の宮、八条宮家を創設し、その屋敷を八条宮に相談しながら造営したことなどから建造物に興味を持つようになり、細川幽斉などから学んだ美意識を建造物にあらわすことに興味を持つようになり、桂離宮の造営をした。

 朝廷側から見た、信長、秀吉、家康を取り巻く時代が描かれており興味深い読み物であった。
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