『砂に咲く花』
2012/01/14(Sat)
 古川賢一郎編著 『砂に咲く花』を読む。
 
 ブログでおなじみのみどりさんが丁寧なお手紙と一緒にこの本を送ってくださった。

 なによりも、心にかけてくださっていたことが うれしかった。

 [この本の成り立ちの意外性] 
 古川賢一郎編著となっているが、この方は明治36年生まれで、昭和30年に亡くなっており、本書は昨年2011年9月の発行になっている。
 この方のご子息が発行を思い立ち、さらに孫の放送作家である古川耕という人の手によって世に送り出された。

 [作詩ということ]
 古川賢一郎氏が亡くなる前年昭和29年に少年院「丸亀少女の家」で詩作を指導され、1部は少女の日記にほかの人の詩が織り込まれたもので、2部はその他の少女の詩でできている。

 [少年院「少女の家」での暮らし]
 ここでは、70人の収容された少女たちが、先生の指導のもとに班を作って数人づつが規則正しい生活を送っている。教科の指導があったり、教養講座があったり、趣味の時間があったり、作業があったり夏には施設の前に広がる海岸で毎日泳いだりもする。

 [罪と償いについて]
 罪を犯したために収容されているのであるが、本書ではなぜ罪を犯すにいたったのかの検証はなく、あくまでも詩作をすることに尽きる。その作品を通して、少女たちの精神的動向や行動観察ができる程度である。古川賢一郎氏は1ヶ月の教養講座と、そのあと興味を持って集まった「ともしび会」という詩作グループでの指導が矯正教育上の功罪に資するかどうかについて教官に忌憚のない意見を求めている。

 読み終わって、一日中庭の掃除などやりながら、どのように読書記録を残そうかと考えてみたが難しい。

 読んでいる間中感じたのは、自分が詩作が苦手でできないので、どのような指導の下にこれだけの詩作ができたのかということだった。
 最後のほうで、古川賢一郎は長崎では名だたる詩の作家であったことがわかると、自分もそのような人の講義を聞きたかったと思った。 

 私は、昭和の末ころ、職場で福利厚生のための会があり、その役員をやっていた。その会で広島の女子少年院の院長の講演を聴こうということになり、依頼のため少年院に院長を訪ねたことがあった。今は東広島市に移設されているが、当時は佐伯郡五日市町にあった。2号線から山の裾野の松林を車でずいぶん走ったような気がしたが、門を過ぎても本館にたどり着くまでも松林は続き、その間から平屋の小さな住宅がぽつんぽつんと建っていて中高生くらいの女の子が紺色の服を着て洗濯物を干しているのが見えかくれしていた。緑の松林のなかに見る、青い空に白い洗濯物を干している姿はとても清楚なイメージを抱かせた。正直、このような環境の中で、3食ついて勉強できるのがうらやましかった。

 そんな思いで読みすすんでいたが、少女たちは散歩と称して脱走をする。必ず保護されて連れ帰されるのだが、そのあと反省室に数日閉じ込められる。少女の間でいろんなけんかが起こる。充分時間をとってやさしく少女たちに話しかける教官も何人もいる。それなのにどうして。少女たちは自分で自分のお守りができないのではないかと思ったりする。愛情豊かに育っていないからか、過保護に育っているのか、学力がないのか、もともとの関心の持ち方が違うのか、わからない。

 わからないと思いつつ読んでいたが、読んでいる最中に広島の吉島刑務所から逃走者が出た。逃走して3日目職場でいろんな予想が出たが、私一人が、逃走したのは、とにかく監視されていることへの抑圧感と郷愁の念とが異常な低気圧で爆発し逃走はしたものの、寒さとひもじさで逃走しなければよかったと思っているのではないか。また、残っている受刑者は早く帰ってくればいいのにと心配しているのではないかと予想を立てて、ほぼあたっていた。わからないといいつつしぜんに気持ちがわかるようになっていたのはやはりこの本を読んでいたからだと思える。
 
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コメント
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 本の内容を丁寧に読み取って下さいまして、読後感の記録に慣れている方は、さすがと感心致しました。
面白くないかもしれないと考えたのですが、こうして早速に読んで頂き、お送りしてよかったと、ほっとしました。
あかね様も、罪の内容は解らないが・・・と書かれましたね。
たしかに詩や日記の中で、想像することのできることもありましたが、私にとっては少年院の有り方は無知ですし、どのような罪が刑に問われるのか、知りたいという思いが募りました。
 環境や生い立ちの中で、避けがたいような罪を犯してしまった少年院の少女たち、後悔に苦しみ、どれ程肉親の愛情を求めていたことかと察せられました。
 最後の、広島の吉島刑務所から脱走した中国人服役者に思いを寄せられた部分にもじ~んと致しました。
確かに凶暴なのかもしれませんが、中国に電話していたことに哀れを感じました。
窃盗集団のボスだったと言う報道で、手下に電話か?という見方をする方もありましたが、私は単純に肉親か愛情で繋がっていた人への電話を想像していました。
悪人、悪人と言いますが、みな人の子ですもの。
あかね様と何処か底通する気持ちだったことに、嬉しさを感じています。
こうして書いて下さったので、私の読後感も整理が付きました。
 ありがとうございました。
2012/01/17 13:50  | URL | みどり #-[ 編集]
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 コメントあいりがとうございました。
 みどりさんのおかげで思っても見ない本に出会いました。
 読むのは大好きだけれども、詩や短歌などまったくできない私にとっては、この少女たちはうらやましい限りでした。
 (憎しみを持つ人については憎しみが消えていないというのはかわいそうなことですが。たとえ殺人未遂に終わったとしても刑を終えて帰るとまたその人たちとのかかわりの中で生活してゆかなければならない現実を思うと第三者の私が見てもやりきれない気がいたしますが・・・)
 今思い出したのですが、私も中学校の国語の教員免許を持っているのでした。この程度の国語教師に教わる子どもたちが少なくないのですから改めてうらやましく感じます。

 みどりさんの詩や短歌も読むごとに世の中を深く見つめることができて感謝しています。
 
 
2012/01/17 23:05  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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