「槍は宝蔵院流」
2012/02/03(Fri)
司馬遼太郎著 「槍は宝蔵院流」を読む。

 これは司馬遼太郎短編全集八のなかの作品。

 1863年壬生で新撰組が結党され、すでに京都守護職御預隊員は決定していた。
 できるだけ多くの道場を隊員募集の勧誘に走り回っている。
 そんな時入隊が決定したのが、宝蔵院流の槍の名手谷三十郎で、養子の喬太郎重政をつれていた。
 近藤勇に気に入られていた谷はすぐ一隊の長になり崇拝者が日ごとに増えていった。
 隊の代表者芹沢鴨が暗殺され近藤勇が代表者に代わると谷は態度がだんだん高圧的になり、ほかな隊員とくに土方、沖田、永倉、藤堂、斉藤、服部、など新撰組をになっている剣客が怪訝な思いをしていた。原因は近藤勇が喬太郎重政を自分の養子に迎え名を周平と改めさせたことによる。
 池田屋事件のとき、近藤勇は討入り組みに大将たる者がその長子を副将格として戦場に連れて出る古来の法にしたがい周平を沖田、永倉、藤堂、に加えた。
 しかし、その池田屋事件いらい、谷の人気がなくなった。
 池田屋事件で、局中きっての怯懦が自分の養子周平であったことに気づき、耐えられず自分の私邸に近づけず平隊士とし、谷さん十郎に対してもいかがわしいものを掴まされたという腹立ちがあった。さらに谷三十郎にもその人品を疑うようなことがあり、斉藤が斬らざるをえなくなる。
 養子周平は鳥羽伏見の戦いのとき混雑にまぎれて姿を消した。
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