『奥羽の二人』入院時のあれこれ 5
2012/03/09(Fri)
 「奥羽の二人」は、伊達政宗と蒲生氏郷のこと。
伊達正宗は、秀吉の小田原攻めに遅れてきたため、所領の一部の会津を召し上げられる。政宗の器量をおそれて、その押さえにその所領を蒲生氏郷に与える。氏郷は所領が増えたものの、中央への夢を完全に絶たれる。以後の二人の奥羽でのせめぎ合いも描いている。朝鮮出兵途中での氏郷の歌
世の中に我は何をか那須の原 なすわざもなく年やへぬべき
信濃なる浅間の岳も何を思う 我のみ胸をこがすと思へば
このあとすぐ病付き40歳で生涯を閉じる。正宗は72歳まで生きた。

「群疑」石川数正のはなし。
石川数正は、徳川家康が6歳のときから、織田、今川と人質の苦労をともにした、忠義の聡明な武将であったが、秀吉の所へ重要な使いで行かされるようになって、秀吉は和正の器量のいい事をほめまくり、家康の家臣でなければと惜しむ。
一方仲間の重臣から、役割を立派に果たせば果たすほど、秀吉に寝返るのではないかと疑われるようになり、我慢は限界を超えとうとう寝返る。寝返ってみて、徳川を割る秀吉の策略であったときづく。そして、秀吉の下でも居場所のないまま涙を流す話。
徳川の家に伝わる古箒 落ちてののちは木の下を掃く
家康のはき捨てられし古箒 都へ来ては塵ほどもなし 
という落書が絶えなかった。

 「英雄愚心」英雄とは、秀吉のこと。愚心とはその甥の秀次を関白にまでしておきながら、秀次に反感を持つ側近が秀吉の心境に乗じ作り上げた謀反という讒言によって自決させたことである。

「転変」福島正則の話。
 福島正則は、毛利のあとへ50万石で広島城に入った武将である。その福島正則とはどんな人であったのか。正則は秀吉子飼いの武将であったにもかかわらず石田三成が大嫌い。そのために、関が原では、先陣を切って家康のために大きな働きをする。しかし、じつは、家康に嫌われていたため、その意を汲んだ秀忠と本田正純に謀られて、御家断絶となる。
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