『奥羽の二人』入院時のあれこれ 6
2012/03/10(Sat)
 「武将不信」は、最上義光(よしあき)のこと。
 彼は、信長の死後、まだ秀吉が全盛のころから家康に信頼を寄せて、慇懃を尽くしていた。
 そして、家康からもそれに対する温情は充分に感じ取っていた。なのに死後お家は改易となり60万石が没収された。
 いくら、こちらが気に入って将来を頼んで慇懃を尽くし働いても、家康という人は、そのときは誰が見ても公平な扱いをするように見えて、その人間の人格を見定めて、結局所領を決めていったというのが、これまでの松本清張の家康への一貫した見方のようであることが知れる。

 「脱出」
石州浜田城主5万4千石、古田重恒が、気鬱によりただひとり近づけた側衆の山田十右衛門のはなし。
古田重恒はいつ逝くかわからない。もしかのときはいやでも、山田十右衛門も殉死しなければならない。そこで、殉死を言い立てるであろう重臣の3人を殺してしまうことを企てる。2人は死ぬが、あとの一人は生き残り、このことが露見し重恒は自害し山田十右衛門は逐電したのを家来が追いかけて磔にしたという。殉死は誰でも怖かったという話である。

「葛」
やっとでた柳沢吉保の話。
そして、中国筋の官位の低いことを気にしているさる大名のはなしという。
柳沢吉保へのつてを探して「あの藩の国産の葛は無類のものじゃ」といわれたことで、絹篩の葛粉で外箱に詰めた紹鴎所持の茶入れをおくる。しかし吉保は綱吉の死にあって没落し官位が上がる暇がなかった。

松本清張の歴史小説。入院しなければ出会えなかった本の一冊。
 清張もその資料集めは有名だが、その資料に基づいての小説、大作ではないが、戦国末期の時代の人々の精神文化を垣間見ることができたと同時に、家康のあれだけ続いた徳川政権を作るにあたっての、なみなみならぬその決意を、厚顔をもってひとにあたってきたその情熱が伝わってもきた。


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