『台湾人と日本人』―基隆中学「Fマン」事件―
2007/11/12(Mon)
田村志津江の『台湾人と日本人』―基隆中学「Fマン」事件―を読む

 この本は、日本が台湾を統治していた昭和17年に、台北の近くの基隆(きーるん)という港町の基隆(きーるん)中学校で起きた事件を、50数年後作者が関係者に取材して、真相を明らかにしようとする話であった。
 
 基隆(きーるん)中学校は、教職員は日本人で、学生は学年によって若干違いはあるが日本人が約80パーセント、台湾人が20パーセント在学していた。
 台湾人は、台湾人の入学枠が少ないために80倍ぐらいの競争率で入学している。日本人は2倍くらいと書いてあったと思う。

 卒業を間近にした11回期生の台湾人学生が年の瀬を前に卒業を記念してバックルやメダルやサインブックを作ったりと、卒業パーティーの分散会をするころに起こった事件だ。
 サインブックに「F」あるいは「F・M万歳!」「血は血を呼ぶ」などという文字が書かれてあることを知った日本人学生がそれを誰かに通報し特高に伝わった。
 それが元で、台湾人学生が勾留され、酷い取調べを受けたり、拷問を受けたり、また、大学への内申書にも「危険思想あり」とか、「生活態度がよくない」などといったことを書かれて、実力相当の大学を諦めざるを得ず、それからの人生にも大きく影響した。
 「F」とは「フォルモサ」台湾のこと。スペイン人がはじめて台湾を見て「フォルモサ!」(麗しき島!)といったことからそう呼ばれていたのだそうだ。
 「F・M」は「フォルモサマン」ということで台湾人ということだ。
 「血は血を呼ぶ」は台湾独立を意味するということで、結社を作ろうとしているような危険思想と見られてのこと。
 

 作者はその時(50年前)の台湾人や日本人の学生に次々と会い事の真相を突き止めようとする。
 50年前のことなので、記憶が曖昧であったり、警察が、捜査に当たって、ひとりひとりを分断し鎌をかけるような取調べをしたことなどもあって、お互いのこの事件に関する認識に違いがあり、同じ人に何度もあって話を聞きながらまた、証言者の「虚と実」をみきわめながら真相に迫っていく。

≪当時の中学生は、独立運動などという言葉さえ知らないくらい、骨抜きにされていたからだ。第4代総督・児玉源太郎の時代の民生局長・後藤新平は、日本の統治に反対するものを徹底的に殲滅した。台湾領有から3、4年後のことだ。
虐殺の血で一面真っ赤にそまった池などの話があちこちで語りつがれ、人びとを恐れさせた。勇気をふるって立ちあがると、すぐつぶされた。
植民地統治というのは、非統治者側からみた実感では、ふたをかぶせて逃げられないようにしておき、つついていじめつくすということだ。≫

 統治された人々と統治した人々のひとつの事件から受けた思いには言葉に言い尽くせないほど大きな違いがあるということがわかってくる。

 基隆(きーるん)中学校の台湾学生はとびぬけ優秀な人が多く、以後日本の大学に学んだ人が多く、そのまま日本にいたりさらに中国や、アメリカの大学に進んだ人もいる。
 ちなみにこの学生達は、李登輝総統とほぼ同じ年齢のひと達だ。
 李登輝も、京大に入りそこから学徒出陣している。
 この人たちには司馬遼太郎の『街道を行く』の台湾編の愛読者が多いいそうだ。
 
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