全而帰之
2012/06/03(Sun)
 全(まつたい)にして之(これ)を帰す

 子は完全な体を両親から受けたので、死んだら完全無垢の体を両親に返すべきであるということ

 斎氏 世よ(=代々)医を業とす。第四世子穣の妹は八重子と日(い)ひ、性(=生まれつきの性質)順なるも質(からだ)弱く、脊椎病の罹(かか)る。競競(きょうきょう)として(=おそれつつしんで)服薬するも瘳(い)えず。明治十六年一月六日、九歳にして夭(わかじに)せんとすること日を数ふべし。母に請(こ)ひて曰く、「児の死期将に(まさ)に至らんとす。唯(た)だ屍体を剖(さ)きて後の患者に■せんことを望む」と。母泣きて聴(ききい)れたり。為に順和社員に報(まう)して、三木先生に請ひて執刀せしむ。遠近の医人来たりて之を観(み)る者、八十余名。益ます得る所有り。社員為に■を詳らかにして、碑を■、伝へて朽ちず。銘を嘱(つづり)て曰く、「而今而後(じこんじご)・・・・・(・・・・・の部分、碑面が摩滅してよみとれていないか?)・・吾知先央・・・・」と。    竹村順 撰し 並びに書す。

 これは、私の住まいから一番近くのお寺の墓地に建てられた碑の文面の読み下し文である。古文書グループのKさんから、地域のことなので、是非とも正確に読み取りたいとの希望があって、つてを頼って読み取っていただいた。
 お願いしたのは、3月はじめの頃であったが、やっと昨日手元に届き、今朝Kさんに届けた。
 原文と照らし合わせて、この文を二人で読んでみて、思っていたことと違っていたことについて話し合った。
 解剖を希望したのが九歳の子ども本人であるのか、その母親であるのか。もともとこの記事を扱った新聞には、原文は載せていないが、母親が希望したように記されてあった。しかし、この文面では、子どもの希望のように記されている。
 Kさんは母親だろうと言われた。しかし私は娘本人だろうと言った。
 私の母が昭和47年50歳の時、突然倒れて脳腫瘍を患った。当事広島県では母が入院した県病院にしかCTスキャナがなく脳外科のスタッフはテレビ映画のベンケーシーを見るような様子だった。母はその時の手術をしてすっかり治していただいたのだが、従前その母が、頭痛がするたび、兄に「私の頭が痛いのはどうにかなっているのだろうから私が死んだら必ず解剖してみて欲しい。」と時々言っていたのを思い出したからだ。
 私もこのたび耳の手術をした時の手術の様子を全部DVDに撮ってあるのを見せていただいて、100パーセント理解した。
 痛みを持つ人は、自分の体の究明を望むと思えるので、本人が希望したのではないかと思うからだ。
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