『しつけのない国しつけのできない人びと』
2007/11/19(Mon)
中村喜春の『しつけのない国しつけのできない人びと』を読む

作者は、1913年(大正2年)に東京中央区の銀座の開業医の家に生まれる。
1929年16歳で新橋の置屋の芸者となる。
1940年芸者をやめ外交官と結婚インドのカルカッタに夫とともに行く。
1942年帰国して、長男を出産するが離婚する。
1956年アメリカにわたり2004年1月5日にニューヨークの自宅で亡くなる。

当時1200人いた新橋の芸者の中で英語が話せる芸者として有名。

日本といえば「富士山・芸者・すき焼き」ということで、外国からのビップをもてなすに、富士山を見せ、芸者ガール遊びをさせ、すき焼きを食べさせるといった時代。
新橋芸者も国際社交界の一役を担ったのであるが、相手の喋っていることがわからないので、ただニヤニヤ笑ってお酌をしていることしか出来ない。

中村喜春はそんな状態にイライラし観光局長の田誠(田英夫のお父さん)のツテで午前中英語学校に3年間学ぶ。

30人いた中で女性は2人、≪宿題は毎夜お座敷に行って外人のお客様にやっていただくこともありました。朝卸して夜は小売をするようなものですし。おかげでいつも私はクラスのトップでした。≫と述懐している。

しつけのない国しつけのできない人びとというのは日本人のことで、アメリカに暮らしながら、日本人の留学生を数名預かっているという生活の中で、その子供たちとその友達のことを話している。

日本と比較しながらアメリカでの暮らしについて、語っている。
断然暮らしよいという。
理由として、物価の安さを第一に挙げている。
税制・福祉についてそのあり方が住民に優しいということに徹しているということを述べている。

また、「自国の文化を踏まえない国際人というのはありえない」といい、日本の文化についてよく理解をするよう薦めている。
そして外国の親日家は日本についてとてもよく勉強していることを気に留めるべきだとも。

また、ドイツに行った経験から、ドイツの質素な生活に美しさを感じることを強調している。

何はともあれ、宮家はじめ政官財の大物達、また世界中のビップを相手に芸者を張った御姉さまの粋なお言葉である。
着物柄の話など私も大好き。大いに、日本の文化を学びました。
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