憲法と仏法
2012/11/28(Wed)
 今朝、何気なくテレビを見ていたら、五木寛之が韓国を訪ねての「仏教への旅」が始まった。
 番組表では「NHKのBSアーカイブス ハイビジョン特集 五木寛之 21世紀・仏教への旅2 祖国分断の緊張が続く一方、競争が激化する・・・・」と紹介されている。
 まず訪ねたお寺は、華厳宗。座主というのか、管主というのか住職というのか、金何某とかいう方に五木寛之氏が、日本では、小学生の子どもが、「先生、どうして人を殺してはいけないのですか?」と訪ねたとき、先生はその応えに窮した。こんな問いに答えるべくマニュアルを作ってほしいというようなことがあって日本は数年を過ごしてしまったが、その問いにどのようにお答えになりますか?と訪ねたところ、他者を殺すことは自分の一部を殺すことである。自分と他者はつながっている。根は一つである。そのことがわかっていれば、他人を殺しはしない。と応えられた。
 さらに旅の途中、五木寛之が奈良東大寺からいただいてきたという経文を川原の木陰で読むくだりがある。その中に、諸仏と、衆生と、心の三者は皆差別がないとのべていて、この経文を番組中、家事をやりながら見ただけでも、4回くらい字幕入りで朗読した。
 また、身と心が一つになれれば自由を手に入れられるというくだりもある。
 韓国の現状と仏教、あるいは韓国の歴史と仏教、そんななかに息づく仏教の教えを長時間見ていると、その教えによって心が解き放たれてゆくのを感じる。自分の中にある仏心以外のものがそぎ落とされていくような気がする。

 憲法14条では法の下の平等を述べ、19条から23条まで思想および良心の自由、信教の自由、集会、結社、表現の自由、居住・移転、職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由、学問の自由などを認めている。

 このように列挙してみると、日本国憲法は私達のもっとも大事にするべく宝物であるが、それは、不断の努力によってこれを保持しなければならないとはいえ、与えられたものであって、与えられたものは取り上げられる可能性がある。しかし、仏法の教えでは平等と自由はみずからの心によって得られるものだという。

 今朝は自分の心によって得られる平等と自由を教えられた幸せなひと時だった。

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