『朔太郎とおだまきの花』
2013/06/03(Mon)
 萩原葉子著 『朔太郎とおだまきの花』 を読みました。
 もちろんこれもみどりさんに頂いた一冊です。
 じつは、この前に読んだ『輪廻の暦』のブログ記録を書く前に、集英社の日本文学全集の萩原朔太郎の詩集の一部分とこの本を読み終えました。
 『輪廻の暦』で朔太郎の娘の自伝を読んで、なんという大変な親子の物語だろうとあっけにとられたのですが、この『朔太郎とおだまきの花』は、第一部が「父と詩」となっていて、読んでいくうち、萩原朔太郎の詩作の心の風景が私なりに理解できるようになりました。
 『輪廻の暦』を読んだあとすぐでは、彼の詩を何篇か読んだけれどまったく理解できなかったものが、この本を読んでからだと大変興味深く私なりに読み解くことができました。
 朔太郎の父親が医学の勉強一筋、努力によって開業医となり、長男の朔太郎にもはやくそのようになって欲しいと幼いときに、死体の解剖をじっと見守ることを要求するのです。
 朔太郎は、生きていく人間の喜びや悲しみ、生きることの労苦を知る前に、死んだ人間の肌や肉やそれを取り除いて、動脈、静脈、心臓、脳、内臓を観察させられるのです。その不気味さから、一生逃れられることはなかったでしょう。
 そのことを念頭において読むことによって、というよりもう今となっては念頭において読まないわけにはいかないのですが、透明ななにか時間というか空間というかそんなものの底から浮かび上がってきているとしか見えない「こと・ひと・もの」を描いている気がするのです。
 いやいや、なぜか、彼の詩にはまりそうです。
 このように彼の詩を理解する経緯をたどると、彼の詩に最初から感動したという白秋や犀星、森鴎外の感性にあらためて深いものを感じます。



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