『寂聴草子』
2014/01/20(Mon)
瀬戸内寂聴著 『寂聴草子』 を読みました。
寂聴が1981年から1995年くらいの間にいろいろなところで発表したエッセイなどをまとめた作品です。作品が話題ごとに分類してあります。
 「阪神大震災」の章では、思い余って、天災がおきたところへ出かけていき、その被災地に身をおいて、被災地のかたがたがの心に寄り添う宗教者としての活動を通して、より著者が自分自身の深い慈悲の心に目覚めていかれたのではないかとおもえ、求道の尊さが伝わってきました。「オウム真理教事件」の章では、事件が起きてまだ全体像が見えない頃からの思いの表出には、仏教の道を究めようとする人の姿勢が見えることにも感動を覚えました。
 「源氏物語」では『中央公論』に掲載の『光る源氏の物語』上・下(大野晋・丸谷才一著)を読んでの楽しい感想は、著者が感じる独特の源氏物語の魅力を披露していて、寂聴の『源氏物語』への興味がそそられます。
 気持ち張り詰めて読ませていただいたのが「仏教」の章です。緊張して読みながらも、やはり小説風に一気に読ませられてしまう筆のはこびに、改めて入寂してからの寂聴という人を感じてしまいます。
 なかでも、感嘆した一文の引用です。
 ≪聞きしにまさる荒行の中に、最澄の開山の精神がまだ生きていた。顕行中は毎日、「山家学生式」(六条式)を読まされる。
「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心有るの人を名づけて国宝と為す。故に古人曰く、径寸一枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ則ち国宝なりと。・・・・・・悪事を己に向え、好事を他に与え己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり・・・・・・」≫
ここでは、修行の一風景としてこの文があり、この文に対する解説はありません。
 この「仏教」や「天台寺」などの章では仏教の専門用語が多く広辞苑にない語句が結構あります。なんとなく文脈から類推して理解するのですが、こだわればインターネットで検索して読み解くことができます。この文章の中の「径寸」という意味がどうしてもわかりたくて検索してみました。この文章はもともと大変有名で、昨年の春にも三重大学学長が全学生にこの言葉を引いて、
≪「一隅を照らす、是すなわち国の宝なり」との言葉を皆さんに送りたいと思います。天台宗開祖、最澄が人々を幸せへと導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいと、熱意をこめて著述したものです。そして「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らすこれ則ち国宝なり」と教えます。「径寸」とは金銀財宝のことで、「一隅」とは今あなたのいるその場所のことです。お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも変えがたい貴い国の宝である。一人ひとりがそれぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていく。「人の心の痛みがわかる人」「人の喜びが素直に喜べる人」「人に対して優しさや思いやりがもてる心豊かな人」こそ国の宝であると教え、教育の大切さを説きます。三重大学でもこのことを実践したいと願っています。≫とあります。(径寸一枚は『寂聴草子』の印刷間違いで、正しくは径寸十枚だということもわかりました)
 私は国宝第一号になっている広隆寺の半跏思惟像のA5の写真を職場の机にはさめています。高校生のとき何かで手に入れて、以来ずっと身の回りにおいて眺めています。
 あるとき、職場の人が、私が休んでいるとき、机の上のこの写真を見て、「よきにはからえ」の言葉をきいて仕事をしているといって大笑いになったことがあります。
退職までわずか2ヶ月あまりです。三重大学学長の文章を印字いたしました。早速あしたこれを机にはさんでおこうと思います。
 教頭 石井徹 の「一隅から照る」という、文章も興味あるものでしたので印字しておきました。
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