『小樽 小林多喜二を歩く』
2014/05/07(Wed)
 小林多喜二祭実行委員会編 『小樽 小林多喜二を歩く』 を読みました。
 この本もみどりさんから頂きました。
 2003年 新日本出版社から出版されています。
 税別で1100円の47ページの冊子です。
 全編しっかりした立派な紙が使ってあり、最初、小樽の地図があり、必要に応じて拡大された地図もあり合計3枚の地図が掲載され、まったく行ったことのない遠くの町をたどるにはとても安心できます。建物などの古い写真も多く使われて、街の様子が小林多喜二の文学作品からの引用文で説明されているところなどは、往時を偲ぶことができます。
みどりさんは小林多喜二のこの祭りに参加されたのかもしれません。
 そのむかし、小樽にはアイヌの人たちの暮らす台地があり、松前藩とアイヌの人たちが物々交換をして松前藩が不当にもうけてアイヌの人たちを苦しめていた時代が長くあったに違いありません。
 歴史は一挙に1880年の手宮から札幌間の鉄道開通から始まります。以来小樽は北海道の玄関口として繁栄の一途をたどって、1905年日露戦争で樺太の半分を手に入れてからは樺太貿易の中継基地となり、1914年第一次世界大戦でさらにヨーロッパ向け雑穀の輸出で、小樽には空前の海運ブーム、雑穀ブームが訪れ、小樽の相場はロンドンに直結すると小樽商人は豪語したといいます。そのせいか、小さな町ながら、銀行がたくさんありました。旧113銀行小樽支店、北海道拓殖銀行小樽支店、北海道銀行小樽支店 日本銀行小樽支店、元第一銀行小樽支店、元三井銀行小樽支店、元三菱銀行小樽支店、のレトロな写真の紹介があります。
 当時はちょっとした金持ちは銀行を作ったり証券会社を作ったりしていたようですから、記録に残らないそういった商業施設はもっともっとおおかったかもしれません。小林多喜二も小樽高等商業学校卒業後、1924年(大正13年)
から1929年(昭和4年)11月中旬に解雇されるまで拓殖銀行に勤務しました。
 しかし、小樽は北海道でもとりわけ階層分化の進んだ町で、小林多喜二はそういう小樽の町と人を題材に多くの作品を世に贈ったとあります。
1928年から1933年2月20日に拷問によって虐殺されるまでの間に「監獄部屋」、「防雪林」、「一九二八年三月十五日」、「蟹工船」、「不在地主」、「工場細胞」、「転形期の人々」(未完)、「党生活者」、「地区の人々」などの作品を書いています。たぶん私はどれも読んだことがないので、近いうちに何か読んでみたいと思いました。
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コメント
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 毎年2月20日、多喜二の墓前祭が各地で行われていますが、積極性が足りず出かけておりません。真冬の最中に、先人の苦闘を偲んで終わります。札幌、函館、網走など数回行ったのですが、家族で雪や流氷を眺めて帰りました。
買いかぶられているようで恥ずかしいです。色々な文学に触れて来ましたが、作者に関わる土地に行くことがありましても、直接に文学館まで足を運んだ回数は少ないのです。
 作家は、若い時に触れた方々と晩年に出会った作家とあり、私もある程度の軸は変わりませんが、文体や表現により、好みが随分と変化してきました。
小林多喜二の生き方に打たれ、全集を買ったのは40代だったかと思い出します。連れ合い以外には誰も興味を示してくれません。
あかね様が好き嫌いを超越して、一生懸命本を読んで下さる姿に打たれます。ありがたく思っております。
捨てられるか、二束三文の扱いしか受けないような古本ですのに、嫌がらずに受け止めて下さるお気持ちに深く感謝致します。
最近も臨時的仕事が続いているように感じます。
どうぞ、ご夫妻共にお身体第一に、今後の人生を愉しんで頂きたいものです。
2014/05/08 11:00  | URL | みどり #-[ 編集]
- みどりさんへ -
 この冊子はお宝のような書物で、小林多喜二の生活した小樽に連れて行かれました。小樽の息ずかいが伝わってきました。手に取る喜びがあります。
 ありがたく思いました。
 読書でも詩や短歌俳句などのように、芸術的技法とセンスを要するものは、てんで読み解くことができずに、字面を読むだけになってしまうことがおおいのですが、まだ若い小林多喜二の思いなら多少理解できそうで、当時の若い人たちに多く読まれ支持された、作品に触れてみたいと思います。
 基本的に臨時指導員は、11人いますのでそれでもどうにもならない時だけなので、4月は8日行きましたが、5月は月末に二日行くだけです。
 4月に歯の検診に行って、治療に5日通っている間に、友達ができました。きのうは誘い合って折り紙を教えていただきました。ピエロとバラです。ばらは凄く難しいのですがピエロは簡単で素敵なので、さっそく隣の町内会の生き生きサロンで6月に手品をやってほしいと頼まれていたので、ピエロのことを話すとこれもやってほしいと言われたので今日一日中試作に忙しくしています。10日には娘さんが比治山大学で主催されているラフカデオハーンの研究会の月例会に一緒に行けたらと相談をしています。
2014/05/08 15:30  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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 ラフカデォハーンの研究会に、新しくできたご友人と同行できそうなのですね。小泉八雲は大の日本びいきだったそうですね。
どんな講義なり、お話しが跳びだすやらワクワクしますね。行けるものでしたら私も参加したい思いが募りました。
その節には、あかね様の参加しての感想が伺えそうですね。
ご友人のお嬢様はハーンがお好きで、研究を重ねていらしたのでしょう。
雨月物語など色々と思い出します。
 佳き時を過ごされますように・・・・・
2014/05/08 18:34  | URL | みどり #-[ 編集]
- みどりさんへ -
 娘さんは鉄森令子さんという方で、PCで観てやってくださいといわれ、そのなかの「蘇生」という記事を読んで、少し聞いていたご家族のことをより理解したのです。
 友人はご主人の介護でいけないのですが、たった今娘さんが連絡をしてくださり、案内をしてくださったので一人で出かけていって娘さんと落ち合うことになりました。ハーンは漱石と帝国大学教師が入れ替わりだったことくらいしか知らないのでどうなりますことやら、、、。それでもずいぶんむかし夫と松江に遊んだときハーンの住居跡には連れて行ってもらい写真なども写した思い出があります。楽しみにしています。
2014/05/08 21:39  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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