『表札など 石垣りん』
2014/05/09(Fri)
 石垣りん著 『表札など 石垣りん』 を読みました。
 この本もみどりさんから頂きました。
 2000年3月3日発行 童話屋から出版されています。
 ためしに先に読んだたくさんの詩人の詩の解説をした滝いく子の『愛のうた』を開いてみました。思ったとおりこのなかに石垣りんの詩も収録されていました。「貧乏」という詩です。
 そっと読み返して、その凄さにあらためて脱帽。
  ≪  貧乏
   
   私がぐちをこぼすと
   「がまんしておくれ じきに私は片づくから」と
   父はいうのだ
   まるで一寸した用事のように。

   それはなぐさめではない
   脅迫だ と
   私はおこるのだが、

   去年祖父が死んで
   残ったものは畳一畳の広さ、
   それがこの狭い家に非常に有効だった。

   私は泣きながら葬列に加わったが
   親類や縁者
   「肩の荷が軽くなったろう」
   と、なぐさめてくれた、
   それが、誰よりも私を愛した祖父への
   はなむけであった。

   そして一年
   こんどは同じ半身不随の父が
   病気の義母と枕を並べ
   もういくらでもないからしんぼうしておくれ
   と私にたのむ、

   このやりきれない記憶が
   生きている父にとってかわる日がきたら
   もう逃げられまい
   私のこの思い出の中から。≫

 この言い切りよう。このようなことを思わないように、つましくけなげに生きている私たちですが、たじろぐばかりです。
 もちろん『表札など』にある詩の数々にも。
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コメント
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 私は親の介護をした経験がありません。実母が倒れた時職場で働いておりました。幼かった子どもを連れて実家のある鶴見区の病院へ駆け付けた時には、既に言葉を交わせず一日を待たずに見送りました。連れ合いの母には優しくして頂いた思い出が大きいのですが、此の義母は心不全、倒れて数十分後には亡くなりました。父親も看ずじまい。ですからこのような詩を読みますと親御さんが長生きなさっているのだろうと、様々にご苦労が偲ばれます。
長く生きれば生きるでの哀しみ苦しみ、旅立ちが早ければ早いで、又これも哀しく切ない心残りの日々が続きます。
今後は親と言うより夫婦互いの看取りが待ち受けているのでしょうか。
 詩と言う表現は、無駄な言葉を削りとり、ほんとうに必要な言葉を凝縮していますね。
私自身は此の刈り取る、削り取る点が弱く無駄が多いのですが、心打たれる詩に出会う度、いろいろ教えられております。
2014/05/10 21:04  | URL | みどり #-[ 編集]
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 『表札など』の記録なのに、結局『愛のうた』に掲載されている詩についてだけ述べてしまいました。
 『表札など』に掲載されている詩もこれ以上も以下もない、そのものずばりといった印象です。
2014/05/10 23:11  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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