第166回広島ラフカディオ・ハーンの会への参加記録 ㈠
2014/06/08(Sun)
 前回5月10日の第165回の広島ラフカディオ・ハーンの会への参加に引き続いて、昨日6月7日、第166回広島ラフカディオ・ハーンの会へ参加いたしました。
 ありがたいことに、前の晩、Tさんが電話を下さり、当日の浅尾敦則氏の演題は「翻訳家平井呈一と小泉八雲」で、『骨董』のなかの「茶碗の中」を題材に話されるという情報をくださいました。
 当日早朝、 ウィキベディアで検索して印刷し、もう一つ牧野陽子さんの「ラフカディオ・ハーン『茶碗の中』について」を印刷しておき、裏山登山から帰ると、短時間に必死でよみました。
 牧野陽子さんの「ラフカディオ・ハーン『茶碗の中』について」では、その論の進め方のうまさに惚れ惚れして読みました。
ハーンが「茶碗の中」という作品を書き上げるのに参考にした、明治24年に書かれた『新著聞集』巻五第十奇怪編という原話との比較はもちろんのこと、彼がこの作品を枕にして、自分なりの物語に変えていった彼のこの作品への真意がみごとに解説されています。
 当時通俗話によくあった、日本の江戸時代、とくにその初期の武士社会ではかなりおおっぴらに行われていたとされている「衆道」によっておこる怪奇物語の主題を、なんと「十九世紀に入ってから特に多く登場するようになったドッペルゲンガー、すなわち主人公がもう一人の自分と出会うという分身の主題」に変えたという説明を、ワクワクするような気持ちで読みました。
 そのことを、翻訳者平井呈一氏が理解していたかどうかについては触れてありません。
 昭和39年に、小林正樹監督が製作した『茶碗の中』は、どちらかというと原話に近く、元来、途中で突然終わってしまうこの作品に結末をつけて脚色をしています。
 さらに、昭和59年に、尻切れで終わってしまう作品であることを枕にした『八雲が殺した』という映画を製作した赤江漠氏は、この作品を「未完にしたのは、八雲自身ではないか!原話の花や実に気づかず、それをむしりとっておきながら!・・・・字数が多い割に、・・・物語の完成度は数等劣って・・・・通俗話の原話にはるかに及ばない不出来の作になってしまった。」という痛烈な批判をしています。これら、作品への未消化や批判には、平井呈一氏の翻訳の齟齬が原因であったことを、その箇所を断定してきっちり指摘しておられました。
 世の東西の倫理観の違いへのハーンの気遣いや、原話から引き出す想像性の豊かさや、文学への基礎的理解のちがいが丁寧にわかりやすく伝わってきました。
 さて、精一杯の予習はして早めに出かけたつもりでしたが、部屋についてみると、ずいぶん早くから出席されておられる方が多くて、希望の席が取れず、板書することにも気がまわらずにいたのが失敗でした。大方の皆さんの発言が聞きとりにくく、たいへん疲れました。
 しかし、会の代表をされている風呂鞏先生が、私のこのブログのことを紹介されたこともあって、隣に座られていた古川正昭氏が名刺を下さり、ご自分のURLを教えてくださいました。これから、ゆっくり伺ってみようと思っています。。
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