第166回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録 (二)
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2014/06/10(Tue)
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テーブルに配布してくださっていた資料の中に、『出雲への旅日記』の抜粋の、原文と翻訳文がありました。
出だしの ≪広島にて、8月29日 可部で人力車夫をつれて川を渡ろうと渡し舟を待っていると、・・・・・≫ で、私の目はくぎづけになりました。おそらく、明治20年代後半のことだとおもいますが、当時の可部の渡しといえば、現代の大和重工の向こう岸ではないかとおもわれます。司馬遼太郎の『街道をゆく』や、松本清張の作品の中で、私の住む可部は魅力的な町として描かれていません。実際そうなのかもしれませんが、ハーンは、さいわい悪い印象は持たなかったようで、なんとなくうれしい気持ちになりました。 それにしても、難聴を考えて、もうすこし、早く会場に行き、板書もしっかり写して、資料もよく読んでおけるようにしなければと、おおいに反省いたしました。お茶を頂いたあと、引き続いて、視聴覚機器を備えた部屋へ移動して、浅尾敦則氏の講演をききました。 演題は「翻訳家平井呈一と小泉八雲」です。講師は、会の代表をされている風呂鞏先生のかつての教え子で、今は翻訳のお仕事をされているということでした。 翻訳家ということで、小泉八雲より、小泉八雲作品の翻訳家としての平井呈一氏により興味を持っておられるようにお見受けしました。当然のことかもしれません。 見方を変えれば、小泉八雲が、日本の話を翻訳した翻訳家でもあります。八雲が、翻訳を間違えたのではないかという部分にもこだわって話されました。 平井呈一は自らも怪奇的な作品を書いていましたが、師事する永井荷風の原稿を勝手に写し取るなどして逆鱗に触れ、永井荷風の作品の中で、そのことを暴露され、以後翻訳だけをするようになった経緯のなかで、平井呈一氏の人間性に触れられました。 あいだで、小林正樹監督が製作した『茶碗の中』を上映されましたが、この上映と講師の話との脈絡が難聴のせいでよくわからなかったのが残念でした。 そのあと、広島市内に出ての懇親会が催されました。私は今年の3月31日で定年退職をしましたが、それまでの職場などの懇親会には自家用車で参加していたために、アルコールは一切飲んだことがありませんでした。駐車場の事情がわからないため、バスで帰ることになっていたので、初めて懇親会でビールを頂きました。 いろいろな方とお話ができたのですが、何十年も中高一貫校の中・高で英語の教師をしてこられたとおっしゃる女性の先生お二人とよくお話させていただきました。英語が大の苦手の私が、このような方と親しくお話をするようなことになろうとは、長い人生何が起こるかわかりません。 懇親会の最後に挨拶された方が、寺田寅彦の随筆集を読んでのお話をされました。高校生の頃なぜか寺田寅彦が好きで読んでいました。なぜ好きだったのかまったく思い出せないのですが、なんだかほっといたしました。 帰ってさっそく、日本文学全集のなかの永井荷風を取り出し、平井呈一のことを書いたという『来訪者』が見当たらないので、解説を読みました。この解説では、『来訪者』によって平井呈一に復讐したという表現でその関係をあらわしていました。 スポンサーサイト
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