恩師Y先生を訪問
2014/06/22(Sun)
 昨日午後、私の大学時代の恩師であるY先生宅を夫婦で訪ねました。
 最近「武一騒動探索」に入れている夫と、1万歩を目標に歩いておられるY先生が道であい、先生のお宅を訪ねる運びとなりました。夫がお土産に二日がかりでケーキを作り、いままでで最高の出来のケーキができたところで一緒に出かけました。
 先生は自ら作った大学の定年制を実行して大学を定年退職した後、大連国際大学の副学長に招かれて中国で10年を過ごされました。
 10年目に小脳が脳梗塞をおこし、麻痺は免れたものの体がふらつくようになり、書籍はすべて大学に寄付して日本に帰られたそうです。その間奥様に先立たれ、誰もいない家に帰られて3日目に一人住まいの自宅で倒れ、さらに3日後弟に発見されました。病気の原因がわからないため病院をたらいまわしにされたのち、平和公園のそばにある土谷病院で黄色ブドウ球菌におかされていることが原因の病気との診断を受け入院治療を受けられ奇跡的に一命を取り留められたのだそうです。一度は死んだと思った自分を、入院時から訪ねてきて看病をしてくれた女性と再結婚入籍されたとのことです。
 この再結婚された奥様もぐうぜん私は知っていました。40年位前NHK教育テレビで幼児教育について講師として出演されていたのを見て、それが、近隣の大学附属の幼稚園園長さんだったので印象に残っていたのです。そしてのち私が勤務していた児童館の母親クラブの講演会で講師としてお招きしたときお目にかかりました。この児童館の母親クラブの会員にはわが子をこの幼稚園に通わせた方が数名おられ皆さんT園長先生への信頼が厚く、是非講演をとお願いされたのでした。
 このY先生をT先生が、つきっきりで看病されるにいたったそれまでのお二人のご縁を聞いて私は深く感動しました。
 私のかよった大学は、いまは大学院まで設置されてますが、元は女子専門高等学校から始まって、女子高等学校になり、短期大学ができ、4年生の大学ができ、さらに短期大学部に幼児教育学科ができたと同時に附属幼稚園までできたのです。
 最初、短期大学を作ることを提唱して奔走したのが、当時広島大学院生で学資を得るためにこの高校で講師のアルバイトをしていたY先生で、その後、短大で国文学講師にもなられ、短期大学設置活動がそのまま就職活動となったのです。広大では助手で研究を進められるという二股かけての生活が続き、博士号取得の後、この大学の専属教授になられたことなどを話してくださいました。
 そして、大学経営に悩んでいた昭和45年に、新制高校になった時の同窓だったT先生に広島の本通り商店街でぐうぜん出会われたのだそうです。先生が経営の悩みを打ち明けられたとき、T先生がこれからは子どもが増えるので幼児教育学科を作るほうがいいと提案されたのだそうです。それから二人のあいだで幼児教育学科とモンテッソーリー提唱の縦割りの幼稚園を作る相談ができあがり、ほかでやってない方式での幼稚園運営には、学長の強い反対もあったようですが、翌年実現にこぎつけられたのでした。まかされたT先生は命がけだったに違いありません。その幼稚園の教育方針は高い評価を受け、NHKがT先生の幼児教育のあり方を評価して講師出演されるほどになったのです。信頼してすべてを任せたY先生もどんなにかうれしかったことでしょう。聞きたいと思っていた話はそっちのけでY先生T先生の大学への偉大な貢献話が聞けたことに、夫と二人で今日の訪問をよろこびあいました。
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