『特攻とは何だったのか』 2
2014/07/11(Fri)
 三枝成彰・堀紘一共著 『特攻とは何だったのか』 日本人としてわすれてはいけないこと は、これが2009年でいまから5年前、終戦から64年、ほとんど戦争を始めた責任者や、指揮官たち関係者が亡くなられつつある時になって、真摯に「不戦論」の立場で、より真相にせまって再確認をしながら書かれています。
それ故に、平和を希求するいまを生きる私たちにとって、この太平洋戦争とそれに続く戦後史の示唆するものを今時的に読み取れると感じています。首脳部もどうにもならないとわかっていながら終息宣言のできない原発とオーバーラップしてきます。

 何についての真相を知ることが、大切なのでしょうか。
終戦間際、戦闘機の操縦訓練もほとんど受けるには期間もまともな戦闘機もないままで、まさに当時でも旧式になっていた訓練用の戦闘機で、年端も行かない若者たちが、二度と生きて帰ってくることのない「特効」として突撃しました。
この不条理の内容を、見つめていくことで、真理を突き止めようとの展開にもなっています。
彼らひとりひとりについて考えます。
 軍人になることを志して、兵学校に進み、護国の心構えや、兵法や、戦争技術を学んだ人もいたでしょう。しかし、それ以外に学問を志し、あるいは兵役を逃れたいがために大学にまで進学していたのに、徴兵された人もいたでしょう。
また、食うや食わずの家業の唯一の働き手であっても徴兵を受け、仕方なく入隊した人もいたでしょう。
 しかし、だからといって、実際、敵を前にして、国の存亡の危機を前にして、彼らの個々の経歴から類推するような行動をとるかといえば案外にそうではなかったこともわかってきます。ほとんど負けることがわかっていながらも局面はさまざまです。自分の死のもたらす意味もさまざまです。それらを自分に納得させ、気持ちの整理をつけた人もいたかもしれません。が果たしてどうだったでしょうか。自分の守るべき日本の国をどのように思ったでしょうか・・・・。

 おふたりの著者と考えてみたいと思います。
 なぜ、「不戦論」なのか。
昭和20年2月、第三航空隊司令部が、沖縄戦に対する研究会を木更津基地で九個航空隊の幹部を集めて開いたとき、「全力を打ち込んで育てつつあるわが芙蓉部隊を、特攻に使うとは!」と耳を疑った美濃部少佐は、猛烈に反対したというエピソードがあります。平成9年81歳で亡くなったその美濃部氏の生前のインタビューに「ああいう愚かな作戦をなぜ考え出したか、私は今も考えている。特攻作戦をエモーショナルに語ってはいけない。人間統帥、命令権威、人間集団の組織のこと、理性的につめて考えなければならない。あの愚かな作戦と、しかしあの作戦によって死んだパイロットとはまったく次元が違うことも理解しなければならない。・・・私は若い搭乗員たちに特攻作戦の命令を下すことはできなかった。それを下した瞬間に、私は何の権利もなしに彼らの人生を終わらせてしまうからだ。そんなことは私にはできないし、してはいけないとの覚悟はあった。」と述べ、これほどの人でも、回想録では、「戦後よく特攻戦法を批判する人があります。それは戦いの勝ち負けを度外視した、戦後の迎合的統率理念に過ぎません。私は不可能を可能とすべき代案なきかぎり、特攻またやむをえず、といまでも考えています。戦いへのきびしさは、ヒューマニズムで批判できるほど生易しいものではありません」と答えています。
 本当にいろいろと考えますが、しっかりしたヒューマニズムがあり、戦術やパイロット技術にたけ、冷静に考えられる人ですら、以後ずっと考え続けての発言です。
 これが戦争というものだから「不戦論」なのだとはっきり思えるからです。
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コメント
- 本が届きました -
本日、この話題の本が当家に到着いたしました。三枝氏のサイン入りにびっくりです。おいしいケーキも、ありがとうございました。
三枝氏のオペラ「神風」の公演DVDを、アマゾンで割安に発注しました。よろしかったら、後ほどお送りします。
2014/07/13 16:40  | URL | 志村建世 #-[ 編集]
- しむらさんへ -
 DVD見せていただきたいです。
 みどりさんからいただく本には、サイン入りがとても多いので、きっと著者の講演を聞きに行かれたのだと想像して、地方にいると「むかしむかしあるところに・・・・。」っぽくなってしまう本の内容も、急にリアルになり、都の空気がつたわってきます。
 ところで、今日友達に連れて行ってもらった会合で、ある中学生のブログなのでしょうかよくわかりませんが、「自衛隊への勧誘の葉書が国から来た。自分はは赤紙をもらったような気持ちになった。このような赤紙がきたら、国会議事堂周辺へのデモへの召集の赤紙が来たと理解する。」といった意味のことをユーモラスに書いていていると、葉書の現物写真入りのブログを印字したのを、見せて、朗読してくださいました。すでに、このような記事を見られましたでしょうか?
2014/07/13 21:54  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
- 召集令状が来た -
その勧誘はがきは、見たことはありませんが、ありそうですね。本物の赤紙はもっと怖いもので、「戦記書画」の増田博一さんは、晩年になってからも「赤紙が来た夢をよく見る、オレはもう済んだ筈なのにとと思いながらも悩まされる」と言っていました。
2014/07/14 11:38  | URL | 志村建世 #-[ 編集]
- 怖い赤紙 -
 ほんとうにそうですね。
 志村さんの「国会一周アピール散歩」に今後、このような思いの若い人が加わるのではないかと想像してみました。
 本当に赤紙が来るようになったら、来る前に外国へ移住する人も増えるかもしれませんね。
 先日、臨時で旧職場に行ったとき、1年生の子どもに「僕はなんていう名前?」と訪ねたら「My name is Tanaka」と答えてくれたので、私も今英語の猛勉強を始めたところです。
2014/07/14 20:07  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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