『小泉八雲と司馬遼太郎がみた「出雲のカミガミ」』
2014/07/13(Sun)
 庚午一成筆 『小泉八雲と司馬遼太郎がみた「出雲のカミガミ」』 を読みました。
 小泉八雲の資料パソコンで検索していた我が家の亭主が見つけた資料です。
 インターネットから検索してダウンロードしてくれました。 
 この作品は2005年10月8日から2006年4月1日まで、毎週1回「せとうちタイムズ」に連載されたものです。2006年の2月18日の15回までの筆者は庚午一成ですが、以後の2006年の4月1日の21回目までの筆者の紹介はありません。
 筆者は昭和35年新聞記者として松江支局にいたとき、ラフカディオ・ハーンについて深く知る機会があったようです。そのころ先輩であった司馬遼太郎が出雲に取材に来たようです。そして、司馬遼太郎は36年中央公論の3月号で「生きている出雲王朝」という紀行文を発表しました。
 ラフカディオ・ハーンの出雲の探訪については、彼の「神々の国の首都」平川祐介編を枕にしての記事で、出雲大社の宮司について司馬遼太郎のこの紀行文と比較しています。
 司馬遼太郎は、「古代地方長官で大和王朝と対抗する出雲王朝の帝王であった大国主をまつる出雲国造が、かつての敵であった大和政権から国造の称号をもらったものかどうか、明らかではない。この話は変にややこしい。このミコト(大国主)が西暦何年に誕生し何年に死没したかもわからないところに神韻ヒョウビョウたるものがあると結論を出さないでいる。」とし、ラフカディオ・ハーンは、「職務にある国造は、常にただ一人だが、国造家ははるか以前より千家、北島の二流に分かれ、たがいに神祖より職責を求めて対抗。政府は常に本家である千家を優遇してきたが、北島家の成長も、普通国造次席なみの扱いを受けている。国造は杵築にあっては、常に天皇(すめらみこと)の身代わりとして神に奉仕するが、そうした宗教的役割は、御杖代(みつえしろ)と呼ばれ、当代の宮司もこの称号をもっていると注釈をつけている。今では官制上の名称も国造でなく宮司にすぎないが、神様あるいは神様のように尊いお方であって、今なお遠い昔から受け継がれてきた国造の名をもって呼ばれている。かって国造がどれほど厚く尊敬されていたかは、出雲の里人のあいだに長く暮らしたものでなければ到底わからないと説明し、国造におとらぬ尊敬を受けているのは、民衆と太陽の仲立ちをつとめる日の御子「天子様」だけである。ついでに、天子様、御門(みかど)への尊敬は、生身の人間に対してと言うよりは、一つの尊い夢に対して、現実というよりは名称に対して湧き起こるものだ。なぜなら、天子様は現在(あき)つ神として、決してお姿をお見せにならない。民衆は、その竜顔を拝したら命をなくすると信じている。目にも見えず、知ることもできない・・・・これが御門の神話にどれほど絶大な威力を貸しあたえていることか」と紹介していることが書かれてありました。
 ハーンのこのような文章を、当時の日本人が書くことを許されたかどうか疑わしく思うのですが、日本人より日本人のことを上手に説明しているようにさえ思えます。
 これよりすこし後のことと思えますが、夏目漱石が開通した汽車に乗っていろんなところから依頼を受け講演をしていたとき、「こういろいろなところに飛び出してゆくとありがたみがなくなる。」といっていたのを思い出し、西欧文化に触れたことのある漱石の皮肉めいた言葉でもあると今思い出したことでした。
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