広島の土砂災害について覚書(3)助けているつもりが助けられ
2014/09/07(Sun)
 私たち夫婦が手伝いにいっているお宅のことです。
 8月20日の早朝、裏山が土砂崩れしてきて、家の右裏から土砂が押し寄せ窓ガラスが割れ、座敷に土砂が入り込み、庭に植え込みのないところは前の田んぼにも土砂が入り込んでしまっています。
 2週間たって9月4日から手伝いに行き始めたので、被害直後の状況はわからないのですが、まだ業者を入れる状況ではありません。出しても出しても土があるという感じです。
 2週間、雨の降らない日はなく、避難勧告も出たりして落ち着かない日でしたが、家の周りの土をのけ、泥まみれになった家の中で、棄てるものと蔵や小屋に運ぶものを仕分けして、土をのけ、やっと畳をあげることができ廃棄して、床下をはがし、床下の土をのけるのがらくな大きな部屋から順に土をのけたという状態でした。
 5日はふすまを洗いました。勿論全部張り替えなければなりません。廊下周りのガラス戸も洗います。これは途中から、ボランティアの方にバトンタッチしました。そういえば、ボランティアの方が、全員背中に「団結」と白で書かれた真っ赤なティーシャツを着て、10人くらいが来られました。緑井の百貨店天満屋の労働組合の人たちだそうです。皆一生懸命夫の指示に従って手伝ってくださいました。そして、廊下を高圧洗浄された後を何度も何度も雑巾を変えて拭きました。そして洋式トイレの土をのけて拭きました。これはずっと下を向いての作業なので頭が痛くなりました。重い土嚢袋の土もずいぶん運んだりしましたがトイレの土除けが一番しんどく感じました。それでもそのあと他の人がずいぶん長く掃除しておられました。
 7日の今日は、夫が洗濯機のある脱衣場の床下の土を除けてもらうために床を丸ノコで洗濯機のない部分の床を切り落とすのを手伝いました。途中から地域のソフトボール部の青年が15人くらい来られ手伝ってくださいました。今日も若くて元気な人たちでしたが、あの狭い床下の土を除けるだけでも2時間はよくかかったように思います。そのあと、スコップで台所の土を除けてくださったあとシャベルで隅のほうの土を除けたりして、それでも土嚢袋に7袋くらいはあったでしょうか。土間の棚下の土はひとりでかい出しました。奥行きが40センチくらいでしたが、ごみと土とで10袋出しました。あと、夫が、家裏の壁に高圧洗浄機をかけたので、棒刷りでこすって行きました。
 昭和元年生まれくらいの女性がひとり住んでおられるのですが、たまに近くで作業するときの話です。
「よく来てくれたね。ありがとう。」これは再三。
「娘が何もかも棄てるという。」「ここできてくれた人と腰掛けて話すのに、ここのドアをなくしたほうがいいという。」「これからときどき、話に来てくれる?」「早くここで暮らしたい。」(毎日娘さんの車で娘さんの家から連れてきてもらっておられる)「道具や材料でお金がいるとき言ってね。」
 娘さんふたりがおられ、二人のご主人は、ゼネコン社員と県職で義母を説得できないが、夫がいて、3人で言うと「そうしようか」といわれるので、夫も責任重大だ。
 大金を使って家を修理してまもなく施設にでも入らないといけなくなったら、などいろいろ考えてしまう。
 災害さえなかったら、なんということはなかったのに・・・・・・。
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コメント
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  遠く眺めているだけでごめんなさい。
水を含んだ泥土の重さ考えるだけですが、1キロ持つさえたいへんです。最近力仕事は全く出来ない身になってしまい、掻き出すボランティアですらダメで邪魔になるだけです。
団地で枯葉を詰めた大きなビニール袋をゴミ置き場に出しに行くのも、袋一杯には持ち運べず、半分がやっとという有様です。
 あかね様ご夫妻の頑張りとお疲れは想像を越えていると思います。腰痛が起きないことを念じております。
皆さまの助け合う様子に、ただ見つめるしかない事をお許し下さい。今後しばらくでも良い天候が続き、空模様が落ち着きますことを願うばかりです。
2014/09/08 10:10  | URL | みどり #-[ 編集]
- みどりさんへ -
 みどりさん、私が「助けたつもりが助けられ」と書いたのは、長年広島市の嘱託職員として働かせていただきながら、これだけの災害があったのに、2週間、自分の避難のことや元の児童館の職員のことなどにかまけて、復旧に向け、なにもお手伝いができていませんでした。でもいま少しでも役立っていそうなことで救われています。ボランティアに来られる人たちも、おなじ気持ちだと思います。皆で助け合って皆で元気付けあって皆で生きるとはどういうことか学んでいます。
2014/09/08 19:09  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
-  -
今回の広島の災害で、村の災害の歴史を調べてみたら、相当な回数被害があり、人命も失われています。津波ばかり心配していましたが、山津波の方が我が村は危ないようです。ご夫婦での災害援助。ごくろうさまです。
2014/09/12 13:12  | URL | かわぐちえいこう #-[ 編集]
- えいこうさんへ -
 えいこうさんが、海の津波も山の津波もとおっしゃるように、私たちも、避難所に指定されている、団地のすぐ下の亀山小学校のほうが我が家より危ない気がしています。ふたりで話し合って、向かいの団地の亀山南小学校に避難することに決めていました。ところがこのたび、亀山南小学校の給食センターの裏が崩れて下の道路をふさいで歩道とも両方のガードレールがこわれて、道路下の住宅まで土砂が流れていました。夫と相談しなおして、ずっと大回りしてでもやはり亀山南小学校に行くことに決めました。じっさい荷物をまとめたのは生まれて初めてでしたが、車にいろいろ心がけて積んでおくことも必要かとも思いました。
 しかし、5,7,8,9,10日と重労働でしたが、返って元気になった気がします。行っているところでは、土砂量は一番多いそうですが、死人がいなかったので報道があったかどうか、砂防堤を超えてきて、4本のケヤキに助けられた観があります。現場を見ると、人の運命などということを感じます。
2014/09/12 13:59  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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