『口和町誌 江戸時代編』抜粋
2014/09/13(Sat)
「特輯編 江戸時代の現口和町」250ページ

  全国敬老会の始 大日本史に、備後国恵蘇郡向泉村に、三吉寛右衛門なる者ありて中略地方道徳が大変に乱れた。其れ故に文化3年1月24日広島浅野藩主御直筆を以って文武両道の頼杏坪へ恵蘇郡三次郡難事御用向考承の特命を仰付になった。杏坪は邪道の是正は道義の振興にありと専ら道徳回復に努め文化九年三月二十五日上村山王社に山内十九カ村に住する七十歳以上の男女老人百二十七名を集め酒食を供し酔廻り喜楽の図を画人山弼雪搪に画かしめた。これが全国敬老会の起こりである。元小学校高等科一年の教科書に敬老と此の図あり。

  ※以下、三吉寛右衛門なる者の悪事の数々の紹介があります。
   


 口和町とは、わたくしの郷里です。
 今は庄原市に包括されてしまいましたが、広島県の県北、中国山地の山間の村です。
 わたくしは、この春定年退職をしました。なんとなく、退職したらゆっくり古文書などを勉強しようかなと思っていたので、手始めに本棚に長い間立てかけてあった、この『口和町史』を読み始めました。そのとき、目に留まっていた記事です。
 あすは、敬老の日です。
わたくしが生まれた口和町では、毎年、敬老の日には、小学校の講堂で敬老会が催されました。
その敬老の日がちかづくと、地域のお母さんたちが毎夜わたくしの家に集まって、その催しの出し物の練習をされていました。
 わたくしのうちは、農家には珍しい両親と子ども三人の核家族の家庭でした。
 父は歌が好きで大きな電蓄がありました。
 また、廊下まわりがガラス戸で幅広の長いカーテンがありましたので、それを奥の間と、中の間のあいだにひいて、小学校の講堂の幕に見立てて、あるグループは劇を演じて、あるグループは踊りという風に順に練習されていました。
 当時、敬老会の練習に適した家だったのでしょう。
 芸達者な近所のおばさんのことや、踊りの上手なお姉さんのことなどよく覚えています。

 このような光景は、わたくしたちの村だけだったのな?と思ったりしましたが、皆さんの郷里はいかがだったでしょうか。

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コメント
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小泉八雲の放送を見るのを忘れていて、でも録画していたのがちゃんと入っていました。それを見ていたのですが眠くて見ることができません。あかねさんはどうだったかなと来てみました。そしたら素晴らしい奥の深い学習をなさっていて、憧憬の眼差しで拝見だけしてこちらの記事へ参りました。

私の田舎の方は隣保班というのがあって、その単位で母たちがやはり敬老会への出し物の練習などやっていたように思います。その中に「踊り」をやっている人がいてその人の指導で踊りや劇をやっていました。場所は大体その人の家だったようですが、うちでもおばさんたちが集まったことがありますので周り持ちにすることもあったのでしょう。私は今、老人ホ-ム訪問などでやっていることとそのころ母たちがやっていたことを重ねて思うことがあります。

このコメント見つけてくださるかな。
2014/09/15 22:50  | URL | 花てぼ #ZjTFAI5c[ 編集]
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 みーつけた。
 花てぼさんの予告のおかげで、録画もできました。ラッキーでした。2度も見ました。ハーンの会の方にも教えてあげられました。
 最初に出演の小泉凡氏は、先日7月4日にも、ギリシャでのレフカダ文化センター内の「ラフカディオ・ハーン・ヒストリカルセンター」オープン記念と「小泉八雲没後110年記念事業」でも、「オープン・マインド」について講演されたそうです。

 敬老会の練習風景、ほとんどおなじですね。
 
 何の取り得もない故郷だと思っていましたが、敬老会の発祥の地とは意外だったので載せました。

 お読みになってわかるとおり、当時作られた小さな村の町史はお粗末なもので誤字も多く、故郷の人に再度古文書を読み直し、きっちりしたものにしていただけたらと願うばかりです。
2014/09/16 03:44  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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