第169回 「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録(1)
2014/09/15(Mon)
 9月13日、「広島ラフカディオ・ハーンの会」へ夫と参加いたしました。
 災害復旧へのボランティアで、ふたりともクタクタでしたので、「居眠りしないで聞けるといいね。」と、話しながら。それでも、久しぶりに安佐南区、安佐北区の山々を遠目に見られるところに出かけたので、このたびの土砂災害で報道されていない山々の傷痕をみて、角度を変えなければ確認できないところもあり、連日ヘリコブターが、上空を飛んでいるのもそのような様子を確認しているのかなとも思いました。
 席が遠くて、浮田先生と末国先生の話は聞き取れませんでしたので、できるものはプリントで確認して、帰りに夫に内容を話してもらいました。闊達な風呂先生の話はよく聞こえて、眠たくなるどころか、一言洩らさず聞き取ろうと、意欲満々が最後まで続き、充実した学習会になりました。先生は学生時代、雑司が谷の墓地の近くに住んでおられて、ハーンのお墓はwithin a stone’s throw 圏内だったと話されました。わたくしは短大のとき漱石を卒論にやったので、雑司が谷といえば漱石のお墓を思っていたのですが・・・・。最近ハーンのことを少しずつ知ってくると、漱石は、多分にハーンに影響されたのではないかと思うことがあります。お墓のこともそうですが、日本で始めて文学論を講じたのはハーンであったと何処かで読んで、漱石も数学の方程式などを利用して文学論を講じ、その文学論が世界的にも評価されていることを知り、わたくしもその文学論をありがたがって読んだ記憶がありました。そして、漱石の作品の中にも『心』がありますし、亡くなって、ハーンのセツ夫人の『思い出の記』にたいして、漱石の鏡子夫人にも『漱石の思い出』があり、ハーンの怪談物を読んでいると、ほとんど覚えていませんが漱石の『夢十夜』を思い出したりいたします。
 まるでハーンと反対なのが漱石は教師をしたあと、新聞社と契約をしたことです。そして、もちろんハーンとは逆に、彼が日本からイギリスに行ったということです。西洋人の根幹をなすものの見方、感じ方を端的にあらわしたワトソンの≪人間に譬うべきものを天に探せば いたるところに僕らの比喩が見つかる ぼくらはナルシサスの眼をもって自然を眺め いたるところおのれの影に見とれるのだ≫を読むとき、当時の日本人にとって、さらに俳句の名手である漱石にとって、多分に気分の悪くなる思いをしたことは容易に理解できます。漱石の狂気については、それを研究する精神科医の数ほど病名がつけられているといわれていますが、原因はこれだと今では確信が持てます。わたくしのブログの師である志村建世氏もコメントで、≪大学で、禅の研究家だったブライス教授が、「己を捨てる」ということをしきりに言っていました。イギリス人だった先生にとっては、自我を捨てて「あるがままの自然」を見るというのは、新鮮だったのでしょう。≫と答えてくださいましたが、日本に来た人はこのように、日本人の物の見方、感じ方を受け入れることはその逆よりはたやすかったのかもしれません。
 ハーンのお墓のところで横道にそれてしまいました。やはり疲れているのでしょうか、大切な「草雲雀」については、(2)として記することにいたします。

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