第169回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録(2)
2014/09/18(Thu)
 このたびの、広島土砂災害に遭われた87歳のひとり住まいのうちの手伝いもあらかた終わり、あとは二人の娘さん御夫婦で今後の計画を立てて、そのように業者に修理してもらう段階になりました。夫が12日、私が7日手伝いに行きました。 今日は朝から銀行に行って新しいお札を出していただいて、昼食のおかずを作ったのを持って、お見舞いのお金を届けに行きました。新しいお札を手にして、少しでも前向きになっていただければうれしいと思います。
 そんなこんなの疲れと戦いながらで、参加記録が遅くなってしまいました。
 いつもの例会の冒頭に、近時のハーンに関する情報の伝達があったり、メンバーのことについて報告があったりします。
 このたびの報告には、いつも私に向き合って、講義を聴かれている、五十嵐先生のことでした。8月9日の新聞の「知的財産継承 後世に実り」という記事で紹介された、「海軍兵学校英学文献資料の研究―広島大学転用図書に基づく、目録の作成、英学と福音・言語教育と平和への望み」(渓水社刊)の推薦文を書かれていたことの報告でした。原爆で英学文献を焼失した広島大学図書館に、旧海軍兵学校の一般教養の英語図書が多く送られて多くの学生たちが、それを読んで勉強したということでした。 ついでながら、先月も先生のエッセイが「恩師と問題解決学習」と題して新聞に掲載された話題がありました。
 さて、 「草雲雀」は、3回に分けて学習するとのこと。きょうの部分を、風呂先生が原文である英文を全文朗読してくださいました。
 ≪But always  at sunset the infinitesimal soul of him awakens≫と≪all night the atomy thus sings≫の「infinitesimal」と「atom」について注意を促されました。
これらの、小さな魂、小さな生き物、が目覚め、歌う夜。ハーンは目が悪いため、より夜に親近感を持ち、これら小さな虫に思いを寄せることについて話されました。
 そして、「草雲雀」の研究書として牧野陽子氏の『ラフカディオ・ハーン―異文化体験の果てに』(中公新書1992)の抜粋「ミクロコスモスの神秘」を枕に解説をしてくださいます。
 牧野陽子氏は『〈時〉をつなぐ言葉』の 第六章 語り手の肖像―「耳なし芳一」、4 芸術家の肖像 では、冒頭 ≪ハーン晩年のエッセイ「草雲雀」には、最後まで美しい声で歌い続けながら命尽きた小さな虫に対する、しみじみとした感慨がつづられている。世の中には自分の命を縮めてまで歌を歌うことに励む人間の姿をしたこおろぎもいるのだ、とハーンは述べて、自分の姿を草雲雀に重ねた。・・・・・何よりも、そこに詩歌のありようと詩人・音楽家の象徴的な運命をみてきたからだろう。ハーンの芸術観がうかがわれる「耳なし芳一」もオルフェス物語のひとつの変奏曲であり、「草雲雀」と同様に一遍の“芸術家の肖像”の物語として読むことができると思うのである。≫とのべているが、ここではさらに掘り下げて、≪だが、それ以上に印象に残るのは、草雲雀を繰り返し形容する infinitesimal や atom という言葉だろう。そしてハーンを強くひきつけるのは、草雲雀の歌人としての凄絶な生き方以上に、「大麦の粒の半分」しかないその姿のちいささそのもの、かほど微細な生命の内に自分と同じ感情が存在するという神秘だと思える。≫と、述べています。
 ハーンが日本に来て、日本の古い諺、「一寸の虫にも五分の魂」という日本人の生き物に対する感情、蚊ほどの小さな虫とその虫駕籠に大枚を支払ってでも身近に置いて、その歌声をめでる感性に驚く。自分も手に入れて、身近におき、夜ごと魅了されていき、さらにはその小さな魂を持った小さな草雲雀に自分を同一化させるようになる。この体験を、牧野陽子氏は『ラフカディオ・ハーン―異文化体験の果てに』と題した著書に組み込んだのだと理解しました。

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