『<時>をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学(6)
2014/09/22(Mon)
 牧野陽子著 『<時>をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学の第六章 語り手の肖像―「耳なし芳一」を読みました。
 この章は、第169回「広島ラフカディオ・ハーンの会」のための予習で「草雲雀」について調べるとき、この章の4の冒頭部分を検証してすっかり、なじみになってしまいました。
 牧野陽子氏は、1、海の物語で、「耳なし芳一」は海の話である。と強調し、ハーンがギリシャ神話のオルフェウスの物語を重ね、楽器や歌の霊力と海についての共通の部分が説明してあります。
 しかしこの二つの物語の決定的な違いを、2、タブーの空間、として、論じてあります。
 ≪「お前がここへ訪ねてきたことを誰にも洩らしてはなりませぬ。御主君はおしのびの御旅行ゆえ、こうした事について口外無用との仰せです。それではお寺にお帰りになってよろしい。」≫
と口止めされ、さらに、
 ≪「お前は縁側に坐ってじっと待っていなさい。(亡霊に)呼ばれるだろうが、何事が起ころうとも返事してはいけない。動いてはならない。何も言わずに黙って坐っていなさい。」≫
と和尚からも口止めされ、これら二つの口止め(タブー)によって浮かび上がってくる非現実の「霊」の世界を浮き上がらせたことが、ギリシャ神話のオルフェウスの物語とのちがいなのです。
さらに、いまひとつの違いに、オルフェウスの物語は、竪琴と歌声の魅力で海の荒ぶる波風を鎮め魔女を宥め、王を心和ませるのですが、芳一の音響は平家滅亡の最期を語る場面では、逆に鎮まっていた平家一門の亡霊の荒々しい心を掻き立てるのです。
 ≪以前には、平家の人たちの霊は、今よりはずっと落ち着きがなかった。夜中に通りかかる船のまわりによく現れて、それを沈めようとしたり、また泳ぐ者たちを始終待ち構えていて、引きずり込もうとしたものである。≫
それが、阿弥陀寺を建てて亡霊たちを慰め、墓を建て法要が営まれるようになって、平家の人たちも以前ほどたたらなくなっていたとハーンは、芳一の時代の平家の人たちの霊が落ち着いていること冒頭で述べます。しかし、
 ≪芳一は声も高らかに苦海の合戦の語りを語った。―弾ずる琵琶の音はさながら櫓櫂の軋るがごとく、舟と舟との突進もさながらに、また矢が唸りを立てて飛び交うごとく、武士の雄叫びや船板を踏み鳴らす音、兜に鋼鉄の刃が避ける音、さらには切り殺された者があえなく波の間に落ちるがごとくであった。≫
と語るころまでは「国中のどこを探しても芳一ほどの歌い手は他にいまい」など言い合い、感嘆のあまり、聴衆は静まり返っていきます。しかし、芳一が平家の滅亡の運命を語る段になった時、
 ≪女子どもの哀れな最期と、腕に幼帝を抱いた二位の尼の身投げを語る段となった時、聴く人々はみな一斉に、長い悲嘆の叫びを挙げた。そしてあまりに狂おしく、あまりに激しく大きな声で泣き、叫んだので、目の見えぬ芳一は自分が作り出した悲哀の情の猛威に思わず脅えたのだった。≫
 といったように、平家の亡霊は、一旦落ち着いていたのに、何百年かたって芳一語りによって、聴く者すべてが泣き叫び長い悲痛の嘆声を挙げるほどになりました。
 この、鎮まっていた霊が芳一の音楽世界によって甦らせた芳一の再話の力を、文学の自覚的な営みで現代に蘇生させようとするハーンの作家としての自負をこめたものとして、「芸術家の肖像」として述べています。

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コメント
- 中学生のとき英語で -
耳なし芳一が、これほど高く評価されているとは知りませんでした。これを中学で英語の時間に習い、鮮明に記憶しています。英語が原文だったのでしょうか。学制改革の途中で、教師は新制中学の教科書は使わず、自由な教材を使っていました。平家滅亡を語るところは、鬼気迫るものがありました。
2015/02/15 13:23  | URL | 志村建世 #O94VIzx6[ 編集]
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