第170回 「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2014/10/05(Sun)
 10月4日、「広島ラフカディオ・ハーンの会」へ参加いたしました。
 参加のために福王寺への朝の散歩登山は途中の展望台までと決めて、1時間あまりで帰ってきました。途中で鉄森さんから五十嵐先生ともどもお休みとの連絡を受け、淋しく思っておりましたが、出席してみると、新しい方も出席されていて、部屋いっぱいの参加者でした。
 このたびは、3部に分けられた「草雲雀」の2部の解説をしてくださる予定でした。
 前日から、思いついてその部分の英文を読んでみることにしました。ほとんどの単語を辞書で引く始末で、ほとんど進んでいませんでしたが、登山途中で、わかった部分を何度か読み返しました。ハーンの書いた英文だと思い返すことで、ほんの少しでもハーンにふれられてうれしくなりました。忙しかったとはいえ、もっと早くからやっていればもっと楽しめたことでしょう。
 しかし、少しの予習でも、作品への思索に大変役立ちました。
 風呂先生が文中の organic memory ということばに着目するようにと、ハーンが既に読み知っていたH・スペンサーの『総合哲学』にある、経験・記憶・本能の関係や、ユングの夢・神話に内在する、無意識(深層心理)を重視する考えを示して話してくださいました。
 この、 organic memory という言葉を、家で訳すとき、そして、平行して読んでいた牧野陽子氏の「夏の日の夢」の解説を読みながら、また福王寺への散歩登山の途中ずっと考えていました。
 「出会うことで成就し充たされ死んでゆく。」
 長い時間をかけて、幾世代にもわたって、人間の体に植えつけられた体験と記憶、出会うことで成就し充たされるというこの記憶はあるが、死んでゆくという記憶はないとも述べていました。このテーマが一貫して彼の作品に流れていることへの安心感が、それぞれの人間が持っている、人間の記憶への回帰本能を充たしているのではないかと思われてきました。

 勉強会から帰って、さそっく「草雲雀」の3部の英文の解読を少しいたしました。
 そしていままた、福王寺の山道のことを考えています。
 福王寺へ登ってゆきますと此度の災害で大きく削られ崩れたマサツチの山肌が色鮮やかに何本も見えてきます。山道も一部分、上からずって来た土砂がガードレールを押し倒し、谷底へ、けずれていて、応急処置がされ、いまは軽四しか通れません。40数年前可部に越して以来、このような光景を見るのは初めてです。そうして、この夏、もう一つ今までにない光景がありました。黒くてほんとうに小さな虫が山道を飛び交っていて、マスクなしには歩けないほどでした。いつも登山者ほとんど60歳代以上の人ですが、だれもこんなことは初めてだと話されます。だれかが、この虫は半日の命だそうだとの情報を教えてくださいました。半日で死んでしまう虫が2ヶ月以上毎日大量発生するのです。山麓のわが家に帰ってみますと網戸を楽に通り越したこの黒い虫の死骸で廊下はざらざらしていて、ふき取る雑巾は虫の死骸だらけです。これらの虫は、どうして今年になっていきなり大群で発生したのでしょうか。これらの虫は、孵化すれば半日の命と知りながら、地下に異状を感じて大量に孵化したのでしょうか。そして、そのことが、この黒く小さな虫の記憶なのでしょうかと思いをめぐらしています。
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