『義人の最期-明治維新と広島藩の騒擾』Ⅱ
2014/10/10(Fri)
 『武一騒動』に続く、『木坂文左衛門獄死―可部天保銭贋造事件』の部分を読みました。どちらも明治初頭の広島藩のできごとをあつかった文献です。
 著者は郷土史を手がけるようになって、子供の頃から聞いたことのある明治維新当時の可部の贋金作りについて興味を覚え、調べているうちに、贋金作りは藩命で行われ、藩命を受けて忠実に尽くした鋳物師は獄死(蜜殺)し、藩命を下した本人、その贋金作りを計画し命令した事件の責任者は、のち広島市長になり、あるいは華族に列せられておのおの栄職につきます。この矛盾をさらに調べる中、疑獄事件の構図に思いを馳せるようになり、その経過経緯を明らかにすることを使命として本書となった感があります。

  (疑獄事件を広辞苑で引くと、①事情が入り組んで真相がはっきりしない裁判事件。②俗に、政府高官などが関係した疑いのある大規模な贈収賄事件を言う、とあります。最初疑獄事件ということで、②の方を決め込んで読み進んでいたのですが、資料からは、②に関するものがなく、①の方であるとして読んでみますが、疑獄事件として列挙された事件にはやはり②の例が多く政官界を巻き込むことによる事件への疑念が多いことに気づかされます。)

 著者は、広島藩において、江戸時代以降2番目に大きな農民一揆となった武一騒動が起き、さらに贋金までもつくらなければならないという、藩財政がこれほどの窮地に陥るまで、藩がその経営への努力をしなかったことにも思いを馳せます。ここに出てくる鋳物師とは、西の鴻池とも言われたほどの木坂文左衛門という人で、この可部の地で「なばら屋」として産業を興し、雇用を増やし、町を潤し、事あるごとに、藩財政への援助を冥加金として差し出したほどのひとです。それについてはいちいち克明な記録がのこされています。木坂文左衛門について読み進んでいくうち、今では産業とてない可部ですが、以前は、この「なばら屋」が、石見銀山で大きくなった「かべ屋」、維新のとき長州の軍資金を提供していた「白石家」と太田川の船溜りに何隻もの船を持ちたくさんの蔵をならべていたことを想像させるのですが、この贋金事件でのいけにえとなって、さいごの「なばら屋」も潰されてしまうことを思いました。
 著者は最後に「疑獄」について考察しています。この部分のなかで、武一騒動の原因と背景の、「山県人気質」の条で、昭和50年全国的話題となった加計町役場(職員数98)の職員労働組合の給与アップストライキの闘争についてのべています。源田実の実兄である源田松三町長はストの責任を追窮して免職3名を含む13名の厳しい処分を行い、それに対して組合側の不服申し立てに対して町長側が勝訴したことについて触れてあります。この加計町の事件については、この本の発刊以後、組合側の職員が上告していましたが、12年後に高等裁判所にて勝訴し、さらに10年後に最高裁で高等裁判所の決定が確定したという後日談がありますが、この書物が出来るころには一審後のことで、著者も隣の町の職員として、時の裁判の有り様にかなり不安を抱いていたことを感じました。
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