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『〈時〉をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学(9)
2014/10/13(Mon)
 牧野陽子著 『〈時〉をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学 第九章 地底の青い空-「安芸之介の夢」を読みました。この本の最後の章です。
 読んでいなかった「安芸之介の夢」についての考察されている章でした。一応読みおえましたが、もともと「安芸之介の夢」を読んでいなかったので、国際語学社の小泉凡監修 諸兄邦香編訳 『KWAIDAN』と、角川ソフィア文庫のラフカディオ・ハーン著 池田雅之編訳の新編『日本の怪談』から、「安芸之介の夢」だけ選り出して読んでから改めて読み直しました。作品のあらすじを本文から引用します。
 《大和の国の遠市郡の郷士、宮田安芸之介の家の庭には杉の大樹があった。ある暑い昼下がり、安芸之介は友達とともにその樹陰で休んでいたところ、急に眠気を催し、夢を見た。青い絹を垂れた御所車をひいた華やかな行列が近づいてきて、立派な身なりの使者が常世の国王の命で迎えにきたという。車に乗ると、たちまち立派な楼門の前につき、宮殿の中に案内され、常世の国王に会う。そして美しい王女と結婚して、西南にある島、莱州に国主として赴任する。七人の子供をえて幸せな23年を過ごすが、妃を病でなくし、安芸之介は元の国に帰ることになる。船で港に出たところで、安芸之介は目覚め、自分が杉の下で眠っていたこと、眠ってから数分しかたっていないことを知る。そして友人の話から、安芸之介が眠っている間に顔の上に一匹の黄色い蝶が現れて、蟻の穴の中へひきこまれていったこと、その蝶が再び戻ってきて安芸之介の顔のあたりで消えたことが分かる。不思議に思ったから彼らが杉の木の根元を掘ってみると、大きな蟻の巣があり、安芸之介の見た常世の国とつくりが一緒だった。国王とおぼしき立派な蟻もいて、妃をほ葬った丘の塚まであった、という話である》
 この「安芸之介の夢」が最後に取り上げてあるのには意味が有るように感じました。
 冒頭、
 《ハーンは晩年、まだ小学生だった長男の一雄に、アンデルセン童話集やギリシャ神話などを読ませて、毎日英語を教えたという(小泉一雄『父「八雲」を憶ふ』)。ハーンが亡くなる一ヶ月ほど前、『怪談』を読むことになった。そして一雄は、「父の没する日わたしは怪談中の「安芸之介の夢」を丁度読了したのでした」と回想している。「安芸之介の夢」は、はからずもハーンが人生の最後の日に読んだ、文字通り最後の物語でもあった。》
とあり、ハーンは亡くなるその日にこの作品を、溺愛しその教育に心をくだいた長男の一雄と読んだということが印象深く感じられます。ハーンの最後が早すぎたとは言え、亡くなる日がこのようであったことでホットするのは、わたくしだけではないと思えるからです。
 著者は、この「安芸之介の夢」には、ハーンのほかの作品取り上げられている、架空の世界とを行き来する異郷訪問譚、人間以外のものとの結婚をするという異類婚姻譚、またハーンが心をよせた小さな虫たち、樹木、そして海と島などの重要なモチーフがほとんど出揃っており、交響楽の最終楽章のよであると述べています。さらに、この作品の結末が、原話での破壊の場面などはなく、眠りから目覚めた時にも、その間の一部始終を友達が見守っていて、見た夢と現実との橋渡しをしてくれ、夢に見た気がかりなことも無事であったりして、夢の中の幸せだった20年も、なんだか彼の死後も彼が気にかかっていた遺族もこのようであることをが暗示されているような思いで死を迎えられたと思えます。
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コメント
-  -
台風がまたそちらの方に被害をもたらしているかのようなニュ-スでしたので伺ってみましたがそのことには触れておられないので安心しています。

私は、ハ-ンについては、それ以上に進んでいませんが、今度の書展(一月)に「日本の面影」の中から、文を選んで作品として書き始めています。翻訳者の方の文になりますが、ここのところが著作権の問題はどうなるのか心配ではあるのですが。
作品の最後に記すのは、ラフカディオ・ハ-ン(或いは小泉八雲)「日本の面影」より 〇〇書 としていますが、「日本の面影」の後に、△△訳と訳者をいれるべきでしょうか。
あかねさまにお尋ねしているようないないようなですが、事の成り行きで書きました。
私が書にしているのは本にして二行ほどの文ですがそれがどこのところかは今はまだ内緒にしておきます。
2014/10/14 00:06  | URL | 花てぼ #ZjTFAI5c[ 編集]
- 花てぼさんへ -
ご心配ありがとうございます。雨が降るたびにビクビクするようになったことはどうしょうもなく、以前の秋雨の風情を楽しむ気持ちはどこへやらと皆で話しています。先日、安佐北区をさらに奥へ行きますと、立派な屋敷ばかりある村があり、その村の夫の友達の若い町会議員さんにお会いしたとき、「家が壊れたら、どこか空家を世話してくださいね」と本気半分でお願いし、「空家はたくさんありますから大丈夫です世話しますよ」と言っていただきどうにかといったところです。
「書」のこと楽しみです。もちろん訳の表記についてはわかりませんが、書の作法では古来いちいち言ってないのでは・・・それにハーンは自分の言葉が時をつなぎ越えることが文学の価値だと東大で講義していたようですし・・・。まてしばし、平井呈一は、永井荷風の作品を写し取って破門されたとか・・・。
 いつもどおり「下手な考え休むににたり・・」でした。
2014/10/14 07:18  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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