『ラフカディオ・ハーン』日本のこころを描く
2014/10/15(Wed)

 2002年発行の岩波ジュニア新書405 河島弘美著 『ラフカディオ・ハーン』日本のこころを描く を読みました。
《ラフカディオ・ハーンという人を知っていますか。小泉八雲、ならどうでしょう。…》という書き出しで始まるこの作品は、いかにもジュニアむけです。
 子ども達と読んでいるような楽しい気持ちで読み進んで行きました。
著者の河島弘美という人は今まで読んでいる、講談社学術文庫発行の平川祐弘編の小泉八雲作品集でもそれぞれ数篇訳しておられおなじみですので、時々ハーンの訳文が引用されている部分でも違和感なく読めました。
 1、ヨーロッパ―誕生と幼少期 2、アメリカ―青年期 3、横浜―日本の玄関口に立って 4、松江―神々の国出雲へ赴任 5、熊本―日本を見る目の深化 6、神戸―「小泉八雲」の誕生 7、東京―生涯最後の地 という章立てで、ハーンがその一生を送った場所の順に彼の作品や、書簡、残された記録を紹介して、彼がそれぞれの場所で心惹かれたものをとおして、彼への理解を深めてゆくことができます。
 わたしは、最近になってハーンに親しむようになり、少しその全体像が見えるようになってきているのですが、ほとんどぼやけて見えていました。しかし、ここでは、この本に出会えてすっとはっきり見えるような資料に出会うことができた部分を紙面の許す限り記録できたらと思っています。
 一つは、熊本から神戸に行ったときのことです。《神戸クロニクル社の仕事は6ヶ月契約で、論説と短信を受け持ちました。ハーンにとっては楽な仕事でしたが、訳1年で辞めてしまいました。それは、作家として生計を立てる自信を得たためと考えられます。ここで、ハーンが日本に来てからの著書をまとめてみましょう。日本に関する最初の著作『知られぬ日本の面影』上下2巻は熊本出立の直前1894年9月に出版され、年内に3回も版を重ねるほど好評でした。》1895年の第2作『東の国から』そして第3作1896年3月『心』への作風の変化について《のちのハーンは大学での講義の中で、散文の小品をスケッチとエッセイに分けて説明し、スケッチは水彩画のような描写、エッセイは学識に基づく論述であると定義します。まさにハーン自身の仕事が、そのエッセイに近づきつつあったのです。三冊目の著書『心』の巻頭を飾ったのが「停車場にて」であるのを考えると、そのようなハーンの変化は誰の目にも明らかでしょう。》
 今一つはチェンバレンとの関係について、《実はチェンバレンは、ハーンよりずっと長生きして、のちにヨーロッパに帰り、ハーンの死後、第六版の改訂では「ラフカディオ・ハーンという新項目を立てました。驚いたことに、この項目でのチェンバレンの記述には明らかな悪意が見られます。 ―彼は最初ロンドンに出た。それからアメリカに行った。一文無しで臆病者の彼は、そこで多くの苦労を嘗め街路で寝るときもあった。彼の一生は夢の連続で、それが悪夢に終わった。彼は情熱のおもむくままに日本に帰化して、小泉八雲と名のった。しかし彼は、夢から醒めると、間違ったことをしたのを悟った。(高梨健吉訳『日本事物誌』平凡社東洋文庫)― ハーンはあれだけ親しい文通をして、帰化した理由も知っていることを考えると、むしろチェンバレンという人の人格まで疑いたくなるような文章です。》
 資料の抽出がわかりやすい部分の一部でした。
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