『日本の怪談』(2)
2014/10/20(Mon)
ろくろ首
寝みだれの 長き髪をば ふりわけて 千尋にのばす ろくろ首かな
頭なき 化物なりと ろくろ首 見て驚かん おのが体を
つかの間に 梁を伝はる ろくろ首 けたけた笑ふ 顔の怖さよ
六尺の 屏風にのぼる ろくろ首 見ては五尺の 身を縮めけり
船幽霊
えりもとへ 水かけらるる 心地せり 柄杓貸せてふ 船の声音に
幽霊に 貸す柄杓より いち早く おのれが腰も 抜ける船長
弁慶の 数珠の功力に 知盛の 姿も浮かむ 船の幽霊
幽霊は 黄なる泉の 人ながら 青海原に などて出づらむ
その姿 碇を負うて つきまとふ 船のへさきや 知盛の霊
罪深き 海に沈みし 幽霊の 浮かまんとてや 船にすがれる
浮かまんとて 船を慕へる 幽霊は 沈みし人の おもひなるかな
恨めしき 姿はすごき 幽霊の 舵を邪魔する 船の知盛
落ち入りて 魚の餌食と なりにけむ 船幽霊も なまくさき風
平家蟹
しほひには 勢ぞろひして 平家蟹 浮世のさまを 横に睨みつ
西海に 沈みぬれども 平家蟹 甲羅の色も やはり赤色
負け戦 無念と胸に はさみけむ 顔も真っ赤に なる平家蟹
味方みな 押しつぶされし 平家蟹 遺恨を胸に はさみ持ちけり
家鳴り(やなり)
床の間に 生けし立木も 倒れけり 家鳴りに山の 動く掛け物
逆さ柱(さかさばしら)
逆柱 建てしは誰ぞや 心にも 節ある人の 仕業なるらん
飛騨山を 伐りて建てし 逆柱 なんのたくみの 仕事なるらん(日光東照宮のこと)
上下を ちがへて建てし 柱には さかさまごとの 憂ひあらなむ
壁に耳ありて 聞けとか 逆しまに 建てし柱に 家鳴りする音
売り家の 主を訪へば 音ありて われめが口を 開く逆柱
思ひきや 逆さ柱の 柱掛け 書きにし歌も 病ありとは
化け地蔵
なにげなき 石の地蔵の 姿さへ 夜は恐ろしき 御影ぞとなる
海坊主
板ひとつ 下は地獄に すみぞめの 坊主の海に 出るぞあやしき
札へがし(ふだへがし)
へがさんと 六字の札を 幽霊も なんまいだと 数えてぞみる
ただいちの 神のお札は さすがにも 糊気なくとも へがしかねけり
古椿(ふるつばき)
夜嵐に 血潮いただく 古椿 ほたほた落ちる 花の生首
草も木も 眠れるころの 小夜風に 目鼻うごく 古椿かな
ともしびの 影あやしげに 見えぬるは 油しぼりし 古椿かも
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コメント
-  -
 妖怪の歌、近ごろでは川柳と呼んでいいと思いますが、巷拾った歌なのでしょうか?
全部小泉八雲が創作したとな思えませんが、どれも言い得て妙、感じ入りました。
現代の妖怪は安倍一族でしょうか。このように面白おかしく、世俗の事も歴史的語り物も交えて、素早く詠えたら愉快でしょうね。
 訳者が子ども達にも読ませたい、伝えたいと感じた心の有様がよく解りました。妖怪カルタなどというものにして学校で扱って下さったらいいですね。此のまま、少数の人たちの語りで終わるのは惜しいです。ついでながら私の母は明治42年生まれ、満足に教育も受けられずに育ちました。小学校5年で実父を失くした為一番上の姉として弟4人妹1人を慈しみ、17、8歳で兜町にあった大きな株取引をする御屋敷に上がり、坊ちゃまの養育を担ったそうで、幸い理解ある主からなにがしかの教えを頂いたそうです。其れゆえか、その後の暮らしの中で独習したのか、聞きそびれましたが、暮らしの端々に例え話や格言がとびだしました。
 高度な教育は受けなかったそうですが、日常ポンポン飛び出す言葉や格言の意味を問いかけながら暮らした幼い日がありました。
今ごろになり自分を振り返りますと、子どもに豊かな言葉かけをしなかったと思うのです。
イロハかるた遊びや双六遊びは共にしましたが、ユーモアや風刺の利いた言葉を失っていたように思い起こします。
 時代の移ろいの中で失われる諺や言い伝えなど遺せたらいいですね。
2014/10/22 09:54  | URL | みどり #-[ 編集]
- みだりさんへ -
この本は図書館で借りました。家になく、面白いので、ここに載せました。これらの歌は、ハーンが創作したものではないのです。
 日本で古くから言い伝えられた怪談・奇談を聞いて日本人が創り巷で有名になっていたものなのではないでしょうか。ハーンは、家族、東京帝大の学生、大学の他の先生などに収集や解説をしてもらいながら、西欧諸国の人々にこれらの歌の意味を解きほぐして解説し、紹介しています。ですから、和歌が理解できない私にも、この言葉は違ったものの言葉と音をかけて、このような複雑な気持ちを表していますといった説明で、しっかり意味を味わいとることができます。
 ハーンの本はイギリスとアメリカの出版社からほとんど同時に出版され、すごい売れ行きで、熊本の学校を辞したのは日本に来てから出版した最初の本についてだったと思いますが9月に出版して年内に3回も版を重ねる程絶賛され作家で生活できる自信がついたからだと何かで読みました。世界各国で、日清戦争や日露戦争をおっぱじめる日本に注目があったのでしょうか。
 夫もこの記事は読んでくれたようで、昨夜は、左甚五郎の逆さ柱の話で二人で盛り上がっていました。
 私も安倍さんは自己愛しかない非国民に思えます。(みどりさんから送られた『銃口』を読ませていただいているのでこの言葉が喉を突いて出てしまいました)
 みどりさんのお母様のお話は、私も聞きたかったです。ハーンを読むようになって、浦島太郎の話なども万葉集から取られた話であることなどを知り、格言や和歌などのように短い言葉の方が力を持って広く伝わるのかななどと今ころになって知ることになりました。
 
2014/10/22 11:34  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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