『ネルソン・マンデラ』⑵
2014/11/06(Thu)
1985年1月ときのボタ大統領が議会で
《政府はマンデラ氏が、政治目的達成のための暴力行為を計画し、扇動し、あるいは実行することにより、犯罪行為を犯すことはせず、再度逮捕されるような振る舞いをしないと誓約するなら、彼を南アフリカ共和国国内で釈放することにやぶさかではありません。》
といったことを述べました。
これについてのマンデラ氏の面会者の息子を介して同士に公表されたコメントが、この南アフリカで起こっていたことがどんなことであるのか、それに対して反アパルトヘイトの姿勢がどのようなものであったのかということを適確に表していると思えるので、所々を抜粋しておきたいと思います。
 《・・・・政府がわたしに押し付けようとしている条件を知り、私は驚きました。わたしは暴力を好む人間ではありません。1952年、仲間とともに当時の首相マランに書簡を送り、円卓会議を開催して問題の解決策を見出すよう要請したのですが、無視されました。
ストリードムが政権の座にあったときも、同様の提案をいたしました。だが、これまた無視されました。
フルウールト政権にたいしては、南アフリカ全国民を代表する国民大会を開いて将来を決定するよう要求しました。しかし、またしても虚しく終わりました。
ことここにいたっては、武装闘争に踏み切る以外に、われわれにはいかなる抵抗の手段も残されていない状況となってしまいました。
 ポタには、自分はマランやストリードム、フルウールトとは違うというのであれば、その違いを提示してもらいたい。暴力を放棄すべきと声明すべきは、ほかならぬポタです。アパルトヘイトを撤廃すると彼が明言するべきです。
人民の組織アフリカ民族会議を合法化するべきです。アパルトヘイトに反対したことを理由に投獄され、追放され、亡命を余儀なくされたすべての人びとを解放するべきです。誰を政権に座らせるのかを人民が決定できるようにし、政治活動の自由を保証するべきです。
 わたしは自分自身の自由を大事にしたいと思いますが、それ以上にみなさんの自由を切望してやみません。わたしが投獄されて以降、あまりにも多くの人びとが亡くなりました。あまりにも多くの人びとが自由を求めて苦難に喘いでいます。この人たちが残した未亡人や孤児、この人たちを思って悲嘆にくれている母親や父親、こういう人たちのことを思うと胸もはりさけんばかりです。長く、孤児で、空しく歳月を過ごしてきたのは、ひとりわたしだけではありません。人生をいとおしむ気持ちは、わたしとてもみなさんと少しも変わりありません。しかし、だからといって、自由になりたいばかりに、生まれながらにして持っているわたしの権利を売り渡すことはできないし、いわんや人民のそうした権利を売り渡すことはとうていできることではありません。わたしが獄中にいるのは人民の代表として、非合法化にあるあなた方の組織、アフリカ民族会議の代表としてなのです。人民の組織が依然として非合法化されているもとで、政府がわたしに申し出ている自由とはいかなるものでしょうか。わたしがパス法違反で逮捕されるかもしれないのに、わたしに与えてもよいという自由とは、一体いかなるものでしょうか。わたしが家族の一員として生活するとしても、愛する妻は依然としてブランドフォートに追放の身であるときに、わたしに提供してもよいという自由とは、一体いかなるものでしょうか。都市地域に居を定めようと思えば許可を得なくてはならないというのに、どんな自由があるというのでしょうか。パスにスタンプがなければ職も探せないというのに、どんな自由があるというのでしょうか。南アメリカ国民としての市民権まで踏みにじっておきながら、いかなる自由が提供するというのでしょうか。
 交渉が可能なのは自由な人間だけです。囚人が契約を結ぶことはできません。
ハーマン・トイボ・ヤ・トイボは、釈放に際していかなる誓約もしなかったし、また求められもしなかったのです。
 わたしは、わたしと同胞のみなさんの自由が拘束されているかぎり、いかなる誓約もできないし、またその意志もありません。みなさんの自由とわたしの自由は切り離せないのです。わたしがみなさんのもとへ帰る日は、必ずやってくるでしょう。》
 
スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
<<『麒麟の翼』 | メイン | 『ネルソン・マンデラ』⑴>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/710-5a99b918

| メイン |