『剣岳』〈点の記〉
2014/12/03(Wed)
 新田次郎著 『剣岳』〈点の記〉を読みました。
 有史以来、登ることを禁じられていた剣岳に、明治40年、陸地測量部の柴崎測量官が、初登頂した時の物語です。
専門用語が多いため、理解するのに難儀し、なかなか読み進めませんでした。405ページの作品ですが、363ページから、「越中剣岳を見つめながら」と題して、著者の新田次郎がこの小説を書くに当たって、とにかく自分もいちど頂上を極めたいと、彼自身が64歳で、登ったときの記録と、測量についてずいぶん勉強せざるを得なかったことを書いています。
 読み進めないまま、間で、2度もこの部分を読みました。そこで彼は、測量理論、測量技術をていねいに習ったために、理解はだいたいできたものの、これを小説にどのように表現するか、苦心したと述べています。
 昨夜やっと読み終えることができました。ただ、字面を追って読み進んだだけでしたが、至上命令である、「山岳会より先に登頂を成功させよ」への重圧感と、登頂成功でその責務を果たしたときの感動は伝わってきました。登頂せいこうしたものの、奈良朝時代の錫杖の頭と剣があり、すでに奈良朝時代に登られていた事が判明し、測量部からは初登頂と思われなかったために、そのことへの悔しさも伝わってきました。
 三角点とはいったいなになのか?という疑問が読んでいる間中ありました。特に、一等、二等、三等、四等と数字で表されている等級とはいったい何なのかわかりません。登頂に成功したとき、「剣岳四等三角点は設定されたとあります。下山するとき
 《柴崎は絶頂が見えなくなる手前で振り返った。白い十字型覘板が光っていた。・・・・限られた日程、限られた予算に頭を押さえつけられながら、ただひたすら、自らの肉体を酷使しつつ追い続けて来た結果が四等三角点だった。彼にはそれが口惜くてならなかった。(特別予算を計上して、剣岳に三等三角点を作れというならば、話は別である。危険なところに綱や鎖をつけ、足場の岸壁を削り取り、所によっては梯子を掛け、そして、運搬賃を倍にして人夫をあげれば、三等三角点設定は可能である)》というところで少しわかったような気がします。
 ところで今日、近所の奥様方と5人で町内をハイキングしました。目的は、国土地理院の基準点配点図をみながら、三角点3箇所、水準点2箇所を見つけて、それが何等であるか確認することです。三角点は2箇所、水準点は2箇所見つけて確認することができました。8時30分に集合出発し、9時5分道路わきにある、天王社の入り口右側で水準点を見つけました。水準点を意識して見ることができた最初でした。10センチ角くらいの石柱に丸い真鍮版が取り付けられ、真ん中に十字が刻まれ、1等水準点とか3141とか書かれてありました。石柱の4面を囲んで4個の自然石がしっかり埋め込まれていました。つぎに確認を目指した、水路に書かれてある三角点は見つかりませんでした。
 そして10時10分、太田川に沿って走っている国道261号線脇にある三角点を見つけました。この三角点には真鍮版はなく、十字が掘り込まれているだけです。石柱の側面のひとつには国という文字が確認できましたので、地中に国土地理院の跡の文字が埋まっていると想像できました。また一面には、横書きで四等とあり、下に三という文字があったので四等三角点と書かれてあると想像しました。ここからは、8月20日に土砂災害を起こした阿武山が、太田川にせり出しているものの、遠く南を見渡すことができます。
 つぎ、10時52分友広神社の境内に入ってすぐ左に一等水準点を見つけました。さらに、12時13分寺山に上り、4等三角点を確認しました。低い山なのですが、この寺山にははじめて登りました。三角点のある場所から、東側に木立はあるものの360度町内が見渡せることにびっくりしました。弁当を食べ、下山し、途中喫茶店でケーキセットを食べて、3時ころみんなで家にたどり着きました。27928歩も歩いていました。
 剣岳とおなじ4等三角点。やっぱり、等級の基準はわかりません。
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2014/12/04 22:58  | | #[ 編集]
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 御丁寧にありがとうございます。夫に伝えます。
 11月は、クリスマスのプレゼントとする折り紙でのバラの作りと、工作の準備で大忙しでした。退職していないときは手仕事をしながら本のことを考えていましたが、不思議と一人でやるようになってからは、手仕事のことばかり考えてテレビも食事のときくらいしか見られていません。
「ヒロシマ 叔父は15歳だった」への読後感は私も同じでした。
 著者と夫婦と、地元の町会議員さんと4人でお話をする機械がありました。私は、母が爆心地すぐ近くの市民球場があったところで即死したであろう叔父について、もう一人の叔父の息子が成人し、肩をクックッとあげるしぐさを見て、「まあ、兄さんを見るようだ」と涙した話をしました。
 知恵熱がでたとは花てぼさんらしい病気ですね。私も一度でいいからそんな熱が出たみたいと思うものの大変でしたね。御自愛ください。国会議事堂が寂しがります。
 ハーンの書を楽しみにしています。ハーンの日本の書についての賞賛を思うと、ハーンも自分の思いを書にしてもらってきっと大喜びです。

2014/12/05 07:47  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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