『土にかいた言葉』
2015/01/08(Thu)
 山下多恵子編・解説 『土にかいた言葉』吉野せいアンソロジー を読みました。
 山下多恵子・吉野せい、ともに初めて聞き知った名前です。
 みどりさんにいただいたたくさんの図書の一冊ですが、この本に書かれてある吉野せいの作品は、鞘の中に収められた名刀としか言いようがありません。
 そう思って最後の解説にいきあたると、書き出しから
《吉野せいという七十五歳の農婦が、作品集『洟をたらした神』で田村俊子賞および大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、一躍マスコミの脚光を浴びたのは、一九七五(昭和50)年四月のことだった。串田孫一が評したように、その文章は「刃毀れなどどこにもない斧で、一度ですぱっと木を割ったような、狂いのない切れ味」(「序」『洟をたらした神』)を持ち、「作品の中に封じ込められた彼女の「人生の切り口は、何処をどう切っても水々しい」(同)。」とあります。
 『洟をたらした神』は252ページからなるこの本の、わずか10ページだけの作品です。
 かぞえ6歳のノボルという男の子を題材にしています。
 《・・・・突っ放されたところで結構ひとりで生きている。甘えたがらない。ものねだりもしない。貧しい生活に打ちひしがれての羽目をはずした私たちの無常なしつけに、時に阿呆のように順応している。
いつも根気よく何かを作り出すことに熱中する性だ。小刀、鉈(ナタ)、鋸、錐(キリ)。小さい手が いつもぼろ着物をきて、青洟をたらしているが、驚くほど巧みにそれを使いわける。青洟が一本、たえずするするとたれ下がる。ぼろ着物の右袖はびゅっと一こすりするたびに、ぱりぱりぴかぴかと汚いにかわを塗りつけたようだ。大方ははだしで野山を駆けめぐる。・・・・幾日か過ぎて、ノボルは重たい口で私に2銭の金をせがんだ。眉根をよせた母の顔に半ば絶望の上目をつかいながら、ヨーヨーを買いたいという。・・・・「ヨーヨーなんてつまんねえぞう。・・・・」ノボルのまつ毛は、ばしばしと絶えずしばたいていたが、きいているのかいないのか、黙って南瓜を食い終わると、すっと戸外へ出て行った。・・・・然しその夜、吊ランプのともるうす暗い小家の中は、珍しく親子入り交じった歓声が奇態に湧き起こった。見事、ノボルがヨーヨーを作り上げたからであった。古い傷口が癒着して上下の樹皮がぽってりと、内部の木質を包んでまるくもり上がった得難い小松の中枝がその材料であった・・・・・・せまい小家の中から、満月の青く輝く戸外に飛び出したノボルは、得意気に右手を次第に大きく反動させて、どうやらびゅんびゅんと、光の中で球は上下をしはじめた。それは軽妙な奇術まがいの遊びというより、厳粛な精魂の怖ろしい踊りであった。》
という作品。三十数年児童館で工作を指導してきた私、ここではただ唖然としてしまいました。
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コメント
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深山あかね様
 あかね様のお蔭で、遠い昔読み捨てにしていた吉野せいの著書、文章が浮き上がりました。昔ですが、詩に目覚めていない頃、エッセイを書く人になりたいと真剣に考えていたのです。画家がリアルに写生をするように、目の前にある風景や人物をペンで描き出して見たいと。20代~30代だったと思いますが、ノートを文章で埋めておりました。誰の作品が参考になったのか今では朧ですが、この吉野せいさんの文章には、やはり驚かされました。ご夫君がプロレタリアの闘士といいますか、農村で色々活動していた有名な方だったと思いますが、今では「せい」さんの夫としか思い出せません。
古びて黴臭いような書物になっておりましたのに、こうして大切に読んで下さるお気持ちに感謝致します。
また整理してお送り出来たらと思います。夫は万にも及ぶ本を抱えているのですが「僕の本は譲らないで」と言います。いずれ亡くなる覚悟がないというのでしょうか。拘ります。子どもたちが読んでくれるとも思えませんが、今の処は彼の気持ちを立てています。一人でも多くの方に読んで頂き共感しあう喜びもあると思うのですが、人の考えは様々です。
 あかね様に出会えましたこと、心から嬉しく感じております。
2015/01/09 00:49  | URL | みどり #-[ 編集]
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 私も吉野せいの作品がかもし出す描写の秘密を何度か読み返し、自分でも日記をすこし長く書いてみました。
 文才を認められ、東京にと勧められても断ってしまう。小学校の教師になっても1年でやめてしまう。再度かわれて教師になってもやはり1年そこらでやめてしまう。そして彼女の太古の生き方に似た生活。しかし、世は昭和、このような生活には極貧と、被差別感が伴う。半世紀近くに及ぶこの生活、その生活で畑になった荒野もいまやまた荒野に戻っているのではないでしょうか。しかし、福井県の南端に荒野を切り拓いてゆく生活があって、その記録がある。
 そしてそこに、文学がある。
 そして、それを伝えてくださるみどりさんがいてくださった。一条の光でした。
2015/01/09 07:51  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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