『良寛の四季』
2015/01/14(Wed)
~~2013年8月7日の当ブログの過去記事の再掲です。~~

荒井魏著 『良寛の四季』 を読みました。
 みどりさんからいただいた本です。
 新たな資料の研究により、近年、従来の良寛像が、大きく塗り替えられていることを受けて、著者はその研究を元に、良寛ゆかりの越後をくりかえし訪れて、改めて良寛の魅力と生身の良寛の吐息を感じ、それによっての解説を加えた優れた俳句・短歌・漢詩を味わうことができます。
 忘れていたのですが、ブログ記事を書くようになって、2009年4月に中野孝次著 『良寛に生きて死す』 を読んだことを記録していることに気づきました。いま、その記録を読み返してみて、そのときも若い頃夫に進められて読んだときにも特別良寛について深く感じなかったことを思うと、歴史的背景、宗教的背景、あるいは家庭的背景に言及して考察してあるので、あらためて良寛にわが身を置いて読めることで良寛の魅力に触れることができるのだと感じています。
 良寛が、短歌などを勉強するのにどんな本を読んだらいいですかと聞かれて、『万葉集』だと答える部分があります。すると難しいところがあってよく読めないのですといわれて、わかるところだけ読めばよいと答えていました。
 読解力にも感性にも個人差があります。相手の能力を見抜いての答えなのかとも思いますが、私自身にもこの答えが一番いいのではないかと妙にうなずけたのが印象に残りました。良寛の師の辞世の句に、十分に仏教の経典に通じた人でないと理解できないむずかしい句がありました。良寛も辞世の句にまったく同じ心理を伝えたくて
 裏を見せ表を見せて散るもみじ
と詠みました。これなら後世に通じ、現代でもこの句が多くの人に親しまれているのが理解できます。
 なんだか、このように肩の力を抜いて生きていていいのだと感じられます。

 読んだ内容が汗とともに流れ落ちて記録にとどまらない状態です。
 今、やはりみどりさんからいただいた
  ≪ ひだるさに寒さに恋をくらぶれば 恥ずかしながらひだるさがまず ≫
と詠んだ沢庵の歌を紹介した水上勉著『沢庵』を読み終え、つづいて夫が購読している『仏教を歩く№7 良寛』を読んでいます。
 施設では、たまにクーラーのある部屋で過ごしますが、35度前後の遊戯室で布ボールでの野球の審判をしたり、卓球をしたり、大縄跳びの縄をまわしたりしているので読んだことはみんな汗で流れ出てしまいます。

 天暑し自愛せよ。と、良寛さんから恋文が舞い込んできたと錯覚してがんばっています。

※ この記事には、ハーンの会で風呂先生が説明されたなかの、良寛への批判の声に相当するみどりさんからコメントがありましたので一部分付け加えます。
「良寛さんのほめ言葉は多いですが、良寛さんが生きていた時代、一碗の米すら家になかった貧農の暮らし、大飢饉による飢え死にの続出に目を注ぐと、里の子相手に手毬などしていたのか?と疑問視した本に出会いました。
それで、お渡しした著書を読み始めたのです。
人の心の奥底に潜むものは、ひとくくりでは言えませんね。
誰にも言えない懊悩もあり、其処を見据えながらも、淡々と大らかに生きられたら・・・とも思います。 」
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